さかえのよ

(潮)過去にも悩んでたようで

「私のあなた、あなたの渡し」メモ
01 /19 2018
昔のブログ記事を読み漁ってみたけど、主人公はタットかカンクかで以前にもかなりモメてたようです。
自分の中で。
成長してねぇな!って思ったけど、悩んでる内容が今と少し違うから、まぁ良しとする。

以前に悩んでた時は、主人公が変わると、話自体(ジャンル)が変わると思ってた。
描くものが変わると。
でも今は、設定にも流れにも、変わるところはないような気がしてる。
話自体に変化はないような気がしてるんだ。
どっちを主人公にするかで、話の印象が変わるだけのような気がしてる。

タットを主人公にして考えてみようとする前は、タットにもカンクにも成長がなかった。
でもタットを主人公にして考えてみた結果、タットは成長するべき課題を持った。
ここが一番大きな点だと自分で思う。
成長する人がいなきゃ話にならないわけだから、やっぱタットいないと話にならない。
カンクはこの物語の前後においては、明らかに考え方が固定しちゃってるから、成長しようがないキャラクターなんだよな。
だから以前は、たとえどっちを主人公にしても、お話にもなってなかったんだと思う。

成長するべき課題を持ったタットは、明らかに新しい人物像となったはずで。
必要な人なので、その人物像を変えるつもりは今はない。
タットの新たな人物像(白魔法士設定)は活かしたまま、カンク主人公の英雄物語を作ることはフツーに可能なんじゃないかって見えている。
ジャンル変わらない。

じゃあなんで、カンク主人公の英雄物語が書きたいって思うのか。
これは、やっぱし、自分の好みの問題なんだと思う。
私自身が、「変わることのない意志を持って、最後までやり抜く」姿勢に憧れがあるからだと思う。
憧れがあるし、自分自身がそうでありたいからだと思う。
これは頑固一徹って意味じゃなくて。
日常のモロモロなことは、どんなに変わったっていいから。
小さなことは無節操でもテキトーでもいいから。
自分が「これは我が人生でけっこう重要なことかもな」と直感する事柄に対しては、なんとしてもたどり着きたいゴールまで行く。
生まれた第一目的は絶対果たす。
みたいなこと。
そんな意志を持ってたいし、持つことを思い出したいし、忘れないようにしたい。
これは、私という人間がブレやすい人間だから、そう思うんだろうな。

逆に、私が変わるのが怖いとか思う人間だったら、タット主人公の成長物語を書きたいって思うのかもしれない。
そっちのほうがやりやすく感じるのかもしれない。

わっかんないけど。





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(潮)主人公の座、争奪戦勃発中

「私のあなた、あなたの渡し」メモ
01 /18 2018
あのさ、あのね。
前にも書いてるけど、save the cat の脚本術では、主人公の条件としてこうあるの。

1 設定された状況の中で一番葛藤する
2 感情が変化するのに一番時間がかかる
3 楽しんでもらえる客層の幅が一番広い

この条件に基づいてタットを主人公としてやってきた。
でも、ずっとなんかモヤモヤしてた。
そしたら昨日、ネットで脚本術指南してる人のサイトで、こんな記述見つけた。
かなり適当にまとめる。

物語には、「成長物語」か「英雄物語」の2タイプしかない。
「成長物語」は、主人公がなんらかのきっかけで成長し、問題解決に至る。主人公に心の変化アリ。
「英雄物語」は、主人公が他の登場人物の心を変化させ、問題解決に至る。主人公に心の変化なし。
主人公とは、問題を解決する人のことである。
問題を解決するから主人公なのである。
主人公の心が変化しなくてもいい。
しかしその際、他の誰かの心が変化していること。


これな!
って思いました。
そうなんだよ。
この方の言ってること、よくわかる。
全然いるじゃんなー、変化しない主人公なー。
ハリウッドにはいないのかえ?
日本には結構おるえ?
めっちゃモヤモヤしてたのは、これだぜ。

きっとね、私がやりたいのはカンク主人公の英雄物語なんだと思う。
タット主人公の成長物語じゃなく。
だからタットの話を難しく感じてるのかなって思いました。

これに気づいたら、以前にこの記事で和訳した good luck がやたら気がかりだったのも納得できた。
(今回ちょっと訳を手直ししてみた)
この曲、きっと今作りたい作品のヒントになるから気になってるんだろうけど、でもどうして気になってるのか、誰から誰に向けての気持ちとして気になってるのか、さっぱり分かんなかった。
今腑に落ちてるのは、カンクからタットへの気持ちとして、この曲として聞いてたんだろうなってことです。
うぉー、すごい自分だけが納得!

とはいえ、ですよ。
タット主人公でやってきたものを、ホイホイとカンク主人公にしていいのかってことですよ。
内容は変わらないんだけどさ…。
オッサン主人公でいいのか…とかさ。
本当にこっちのがやりやすいのか、本当にこっちがやりたいのか、もう少し自問自答したいですよ。
気の迷いなのかもしれないし。

ううううんん。



(潮)サブプロット間違えてた

「私のあなた、あなたの渡し」メモ
01 /17 2018
サブプロットのつもりで配置しようとしてたものが、サブプロットでないことが判明しやした。
がっつりメインプロットの一部でした。
危ない危ない。
サブプロットについて調べてみて良かった。

サブプロットは、取り除いてもメインプロットに影響のないものを言うのだよ。
メインプロットに奥行きを持たせるための、枝葉のことを言うのだよ。
覚えておけ、私。
これ取り除いたら影響ありまくりじゃないか。
ばかん!


(潮)ミッドポイントはどこだったのか

「葛飾、最後のピース」メモ
01 /15 2018
葛飾なんたらを読んだ反省点の続き。

当時はハリウッド式の脚本術を知らなかった。
当然、ビートも知らなかった。
だから葛飾なんたらは、ビートがおかしい。
ビートの概念を知ってたらもっと違ったかな?
この作品、ビートが変だからダラけてる、っていうのもあるんじゃないかなと思った。
ビートとして観ると、もろもろのシーン配置がおかしい。
そんな感じだ。

正直、2幕に突入するまでは、まぁ無難にこなせてると思うんだ。
第1ターニングポイントもまぁ、あれでいいや。
問題を感じたのは、2幕。
特にミッドポイント周辺。

ミッドポイントについてメモしておくと。
ミッドポイントとは2幕の前半と後半をわけるポイントで、2幕前半の流れはここで終わる。
2幕前半における起承転結の結になる部分が、ミッドポイントということ。
後半からは、また別の問題(前半よりもっと重要で、物語の核心)が浮上し、その流れが動き出す。

作品のボリュームで言えば、一英編は48話なので、24話がミッドポイントというのが理想。
そこに何が起きてたかというと、一英が勤める会社の倒産。
ミッドポイントという転換点としては、アリなシーンだと思う。
じゃあ何が変だったんだろう???
会社が倒産することで別の流れが動き出す、というのはできるはずなのに。

2幕前半は、ビートでいえばお楽しみというビート。
お楽しみはお約束を果たすビート。
この作品でいえば、区内限定方向音痴の一英が、葛飾区内を迷子になりながら変人スカート男のナビで配達してく、というシーンがそれでいいんだろう。
ここもまぁおかしくないと思える。

ミッドポイントを会社倒産とした場合、絶好調か絶不調でいえば、絶不調だろうなぁ。
ミッドポイントが絶不調の場合、2幕後半からは主人公の巻き返しが描かれるそうな。
じゃあミッドポイント以降、一英の巻き返しが始まったかどうか。

…始まってねぇ。
さらに言えば、会社倒産によって前半と流れが変わった、ってわけでもねぇ。
会社倒産がミッドポイントになってねぇっつうことだ。

じゃあ他に流れが変わったところがあるだろうか。
あるとしたら、ルナに振られるシーンだと思う。
一英編の第36話。
あそこで振られて以降、一英周辺はちょっと変わる。
横浜への流れが断たれ、自分の中のヒーロー気質と向き合わなきゃならなくなるから。

うーん。
猛省するぜ。
今は全48話で、真ん中が24話(倒産)なわけだけど。
もし24話(倒産)からをスタートと考えると、ルナに振られる36話がだいたい真ん中になるわけだよ。

一番初めに考えていた構成はさ、一英の会社が倒産するところが小説のスタートだったんだよね。
そのままにしておけば、なんとなく良かったんじゃない?って思えてきた~~~。
(*´~`*)

なんで倒産スタートをやめてしまったかというと。
入れたいネタと、カレンダーとの戦いがあったからなのだ。
カレンダーに合わせたら、なんか色々日数が足りなくなって、だったら倒産を後回しにすればいいや、ってなったんだと記憶してる。

当初のように、倒産をスタートにして、ルナに振られるところをミッドポイントにして構成すれば、今よりも読みやすくなるかもしれんね。
2幕前半は、会社倒産をルナに隠しつつ、葛飾での配達と、横浜への再転職活動に奮闘。
しかし、努力の甲斐なく、ミッドポイントでルナに振られる。
2幕後半は、ヒーローとしての自分と向き合う展開。

なんか、そんな感じだったら良かったかも。
\(^o^)/
そのうち手直しできればする。




(潮)反省したこと

「私のあなた、あなたの渡し」メモ
01 /12 2018
年末、自作品の「葛飾、最後のピース」とかいうやつを読破してみました。
疲れた。
長いよ。
足掛け3日かかったよ。
もう画面で読むのはしんどいよ。目が。

構成での反省点、ありました。
ここにメモっておこうと思います。

*****

●一英編より、ジャスティー編のほうが感動する。(ほんの少しだけ。泣くほどじゃない)
その理由を考えてみた。

一英が何と戦っているのかわからなすぎ。
自分自身の心と戦っているにしても、やはりそれを表す敵対者がいないことにはわかりづらい。
一英、周囲から守られ過ぎ。
逆境感がない。
それも、目に見える敵がいないからと思う。
具体的には、酔っぱらいとか不審者とかゴチャゴチャ出さないで、犯罪者にしぼって敵対者とすればよかったかもしれない。
いっぱい盛り込みたくて、ゴチャってる。
ジャスティーのほうはその点、母親だけに敵が絞られているので、分かりやすい構図だったと思う。
敵である母が何度も嫌がらせしてきて、一英編よりは逆境感もある。

↓これをふまえて

●テイクミーは、一英編の二の舞になるのでは?という悪寒がする。
①タットが守られ過ぎ
②敵対者が遠すぎ
③逆境感がなさすぎ

①については、仲間に守られていたとしても、状況は大変なほうがいい。作者に守られるのはダメ。

②について。
敵対者の脅威にもっとさらされていたほうがいい。
邪魔してくるやつらとか、必要なはず。
敵を増やすこと。
危ない目にあうことも必要。
おたのしみ段階で、敵の力が圧倒的に強く、MPで見せかけの勝利になることが大事。

③について。
どうすれば逆境になる?
ひとつひとつの道のりを面倒くさくすればいいのかな?
現状だと、なんだかんだで棚ぼたみたいな旅路なんだよな。
まーなんにせよ、ぬくぬく旅してんじゃねぇということ。
もうちょっと苦労しろっていう。
汗水鼻水たらせっていう。








(潮)タスキー退会とお詫び

◆お知らせ・ご挨拶
12 /29 2017
先ほどタスキーを退会しました。
PCを変えても繋がりにくかったのと、今は外国語に翻訳される可能性をなくしておきたいという心境だからです。

それで、タスキーで大変優しくしていただいた方のボードにメッセージを送ったのですが、退会したと同時にどうも消えてしまったみたいで。
せっかく感謝のご挨拶を残したつもりが、あれあれー?なことに。
残るものだと思い込んでた…。すみません。
仕方ないので、こちらで感謝を述べさせていただきます。

タスキーではお世話になり、本当にありがとうございました!
頂いたご感想はコピーして、今後も手元に大切に保存させて頂きます!
(ノ´▽`*)b☆

で、お詫びのほうなのですが。
悲しいことに、近頃、他の方の文字作品がまったく読めなくなってしまいました。
小説、シナリオなど、物語形式のものがまったく読めません。
漫画もダメだなぁ。
読み始めることはできます。
でもすぐに、「何をしてるんだ! 自分の作品をちゃんとやらなければ!」という思いがあふれてしまい、読み続けることができないのです。
プロもアマも関係なくて、誰の作品も読めない。
読んでしまうと、焦り、不安、集中できないって状態になってしまう。
ちょっと吐き気もする。
そんな感じです。
以前からそういう気質がありましたが、最近顕著になってしまいました。
昔はそれを原動力にもできたのですが。
「私もやるぞー!」ってな感じで。
でもなーんか最近は…
デキナイの(´;ω;`)
今読めるのは、実用書とか、物語形式ではないものだけ。
そういう時期なのかな。
だから、「感想書きに行きますね!」なんて言ってしまった方には、本当に申し訳なくて。
気にしてないかもしれないけど、感想書きに行けずじまいでごめんなさい。

でも同じ物書きとして、ずっと応援してますので。
これからも頑張ってほしいと思っています。
私も頑張ります!
p(*^-^*)q

(潮)よいお年を

◆お知らせ・ご挨拶
12 /22 2017
私が「カトチャンペを英語で言うと?」って聞いたら、グーグルが「カトゥチィャンピィ」って答える。
それを聞いて「ほぉーう」って思う。
そんな年の瀬を迎えている私です。

なんだかんだで「私のあなた、あなたの渡し」創作は地味に進んでるんですけど、やりたい話が込み合い過ぎてて、イヤン、バカンになってる今日この頃。
でも、なんとかまとまってきてるはず。
そう思いたい。

毎日ちょっとずつでもやらないと、何を考えていたのか自分でも分かんなくなるから、ちょっとずつでもやるようにしてる。
間が空いたらダメになるんだぜ。
記憶がよ、ダメによ。

でも誘惑に勝てず、別のことに一日中逃避しちゃうこともあるから、どうしたらいいかなって考えた。
で、いいこと思いついた。

毎日浮かぶ、わが人生におけるネガティブネタがあるんだけども。
それを考えること自体が負の連鎖で、考えるだけ無駄って分ってるのに、考えちゃうようなネタなのね。
もう乗り越えるか、忘れるかしろよ、ってネタ。
だから、それが浮かんだ瞬間、「私のあなた、あなたの渡し」のことを考えることにした。
そうすれば、無駄なネガティブネタを強制終了できるし、創作活動という有益な時間を強制開始することもできる。

どや?
一石二鳥ってこのことじゃない?
って思いながら、新たな年を迎えていこうかと思っています。

来年は完成できるといいな。
できるかな。
できるならできるだろう。

もうさ、天に丸投げしたいよね。

こんな遅々とした我に完成させられると、本気でいうのか!
天がそう言うのか!
ならばやってみせるがよい!
我に完成されられるものなら、完成させてみよ!

って天に言いたいよね。
言っちゃおうかな。

天に向かって偉そうにしてたら、なんか奇跡的なことしてくれるかもしれないなー。
もうぜんぶ、天のせいにしちゃおうかなー。
とか思う。

良いお年を。






(潮)「君の名は。」で泣けない理由

君の名は。
11 /28 2017
「君の名は。」で泣けなかった人がいます。
ほとんどの人が感動していたのに、なぜ自分は感動できなかったのか。
自分に何か落ち度があるのかと思ってしまうくらい、どこが感動ポイントか分からなかった人もいます。
普段、映画ではけっこう泣くほうなのに、この映画ではなぜか泣けなかった。
そんな人が本気で不思議がっていました。
泣けなかったことが不思議すぎて、その理由を分析してる人もいます。

私も感動しなかった一人です。
あんなに皆が感動していたのに、感動できなかった自分、なんなの?
めっちゃ疎外感。
世間から置いてけぼり。
感動できなかった理由が本気で分からな過ぎて、戸惑うばかり。
嫌味でもなんでもなく、泣ける理由を教えてほしい。
そんな気持ち、痛いほどわかります。
というわけで、私も自分なりにですが、脚本術の観点から泣けなかった理由を分析してみることにしました。
脚本術を勉強中ということをご了承の上、お読みくださいまし。

****

私がこの映画で感動できなかった理由。
それは……

「この脚本が、誰でも感動するような形式を取っていないから」

これに尽きるような気がするんです。
私が初めて手に取った脚本術に、こんなことが書いてありました。
以下、抜粋して紹介します。(注釈:ページ最下部)


感動とは、読み手が持つ「心の抑圧」を解放すること。
心の抑圧を解放する手段は、三つ。

1、抑圧を与えて、解放する方法
 これは小説や映画など、物語形式で一般的に用いられるもの。
 誰でも感動できる形式。
 物語の最初で抑圧を与えて、後半でそれを解放することで、感動を得ることができる。

2、抑圧を与えずに、同調することで抑圧を解放する方法
 これは、失恋ソングやガン患者の会などがあてはまる。
 同じシチュエーションの人にしか抑圧を解放させることができないが、ピンポイントで深い感動を与えることができる。

3、「鏡」を見せる方法
 ロールシャッハテストのように、極度に抽象化された、それでいて何か意味がありそうなものを見せると、見せられた人は自らが勝手にイメージして理屈付けを始める。この時、その人自身が持つ抑圧を、その抽象的なものに見出す傾向がある。
 これによって抑圧を解放するという方法。
 「ねじ式」や「エヴァンゲリオン」、PCゲームの「ゆめにっき」など。



以上、こんな3つの方法があるそうで。
私が勉強しているハリウッド式の脚本術は、1の方法にあてはまります。
ハリウッド式脚本術=誰にでも理解できるもの。
save the cat では、国や人種が違っていても理解できるもの、原始人でも理解できるものを書こう、と明記されていました。
誰でも理解できる=たくさんの人が見る=ヒットする、ということのようです。
そのため、人として誰でも理解できるような、本能的な抑圧が必要とされています。
そして物語の展開は誰でも分かりやすいように、主人公はこういうことに困っていて、それがこうなってこうなって、こうなったから、こんな結末を迎えた。
と、ちゃんと説明してくれる方法です。

でも「君の名は。」は、どうも1じゃなさそうで。
2か3のいずれかだと思うんです。
3の例にあげられている作品を私は観たことがないので判断が難しいですが、「君の名は。」は恐らく2なんじゃないかなぁと。
いや、わかんない、3かもしれない。
とにかく1じゃないことだけは確か。

できれば2と3が、どういう形式を指すのかもっと詳しく知りたいところです。
が、きっと、理論だてて他人に教授できるのは1の形式だけで、他2つは教授するのが難しいんだと思います。
作者のセンス・感覚だけがすべて、みたいなことだと思います。
だから教科書は作れないんじゃないかなぁ。

身近に「君の名は。」で大感動し何度も映画館に足を運んだ人がいて、まぁ夫なんですけど、彼に聞いたんです。
どこでどう感動したのかと。
この映画の感動どころについて教えてほしいと。
とにかくあなたが感動した理由と、私が感動しなかった理由が知りたいと。

そしたら、「どうもこうもねぇ!」みたいな返事が返ってきまして。
夫はどうという理由もなく、吸い込まれるようにミツハに感情移入して、感動したとのこと。
私は、この映画は感動するには説明不十分だと感てじていました。
感動するための材料がそろってないし、提示された材料さえ回収されず、「なんだこの映画!?」と感じたからです。
ところが、夫は私が欲した説明や回収など別になくてよかったし、そんなことされたら逆に冷めるとか言い出したんです。

一番泣きそうになったシーンを聞くと、彗星が割れはじめ、町のみんなに避難を促して駆けずり回るところだったのだそうです。
ミツハたちが非難を促してもみんな逃げてくれず、もうだめだ、このままではみんな死んでしまう、みたいなシーンです。
悲しみとか、むなしさとか、そういう絶望感で泣きそうになったのかと聞くと、夫は逆だと答えました。
絆を感じて感動したと。

い、意味が分からない…。
あのシーンで絆なんか感じるか??
不思議すぎて掘り下げたくなりました。

それでよくよく聞くと、夫は「君の名は。」をミツハ視点でこんな風に見ていたのです。
私の言葉で説明します。

@ミツハは父親に従順というか、口答えしたり、意見できない性格を持っている
@そのせいか、漠然とした不安を抱えている
@そのため、安心したい、自分を守ってくれる人との絆を感じたい、と心底では思っている
@勇気を持てず、言いつけを守り、大人しく生きてきたのがミツハ
@そんな中タキと出会い、特別な絆を感じ彼を好きだと自覚したミツハは、不安ながらもタキに会いに行く
@ところが、実際に会えたタキは体の入れ替わりが始まる前のタキなので、ミツハを見ても「誰? お前」と答える
@ひどく傷つくミツハ、そのまま地元に帰り、彗星落下で死ぬ
@しかし時間のねじれに気づいたタキが、時間を超えてまで死んだ自分を助けに来てくれたことに、強い安心感や切れる事のない絆を感じるミツハ
@また、彗星落下が迫り、町民の避難計画を実行するあたりでは、彗星が落ちるなんていう嘘みたいなことをテッシーたちが無条件に信じてくれたことが嬉しいし、安堵しているミツハ
@その安堵あってこそ、信じてもらえなくてもいいから町民に避難を促す、という行動を取れているミツハ
@この時点でタキはそばにいないが、タキやテッシーたちが自分を無条件に信じてくれていること、守ってくれていること、責めないで寄り添い、何があっても手助けしてくれること、それがミツハに勇気を与える
@彗星で死ぬかもしれないピンチな状況だけど、心の中は自分史上最高に、不安から解き放たれているミツハ
@タキの名前はすっかり思い出せなくなってパニックではあるが、「絆」という強い安堵がミツハを動かし、父親に意見する(町民を避難させて!)という決断を可能にさせる

と、こんな映画として見ていました。
なにこれ、こんな説明されたらめっちゃ感動できる映画じゃん…。

でも私が、なんの説明もなくこの映画をこんな風にとらえられるかというと、完全にムリです。
そんな視点、浮かびもしません。
だからこそ、この映画は2か3の形式なんだと思うんですよ。
夫がこの映画をこんな風にとらえることができたのは、自分の中にある抑圧と同調したか(2)、自分の中にある抑圧をあてはめたか(3)です。
私は2も3もしなかったから、感動できなかったんです。
今こうして説明されたら感動できるというのは、1の形式が持つ作業を夫がしてくれたからです。
夫が言うには、タキ視点で観て感動してる人もいると思うとのことです。
夫の話を聞いた限りの印象としては、多分これは、2の形式の映画なんじゃないかと思います。

基本的に私は、1の形式の物語が好きです。
「同調」できる作品に出会った記憶がないっていうのもあるかもしれませんが、映画を観る時に、感情移入して感動したいとは思ってなくて。
起きた出来事、それにまつわる人間模様、そういうのを説明されて理解したいというか。
映画=作者の意見だと思うから、「どんな意見かな?」とか、「そうかそういう意見か」とか、相手(作者)の言い分をフンフン聞いて、あとは自分がそれを好きかどうか、感動するかどうか、になります。
主人公が私とはまったく状況が違う人でも、1の描き方をしてくれれば、十分感動することはあります。
登場人物を自分にあてはめて観ないので、感動の種類は「分かる、分かるよぉ! 言葉にできないけど、この映画、胸にくるよぉ!」とかじゃなく、「この人、こんなにダメっこだったのに、頑張ったねぇ! 心入れ替えて良かったねぇ!」とか、そんな種類の感動が多いです。

私の場合は、同調ではなく、同情です。
その人の身になってみれば、どんな人生も感動必至。そんな感覚です。
登場人物にシンクロするんじゃなく、登場人物の隣でずっと見てる感じ。
ずっと見てたから、あなたがそうなる理由分かるよ、あなたが幸せになってくれて私も嬉しいよ。
そんな感じです。

だからね、私がこの映画を観たまとめとして書いておきたいのは、この映画に感動できなくても大丈夫なんだぜってことです。
「同調できる人にしか感動できない(2)」もしくは「自分の抑圧を当てはめた人にしか感動できない(3)」という描き方がされてるんだから、もしあなたが感動できなかった場合、「あー、自分の中にはこの映画に対する同調要素はなかったし、自ら抑圧を当てはめてとらえるという作業もしなかっただけなんだな。そしてそんな人間は、日本では少数派だったんだな」でいいんです。

そして、この映画に感動できなかった理由として、「脚本がなってないからだ」みたいなことを言わなくてもいいんだと思うのです。
確かに1の形式で描いてくれれば、感動できなかった派は感動できると思います。
でも、あの形式だからこそ深い感動を覚えた人たちは、どうなりましょう?
1の形式で描かれたら、彼らにとって大した感動じゃなくなっちゃうんです。
父親との確執はどうなった?など描かれたら、彼らにとってはいらない情報が増えちゃうんじゃないでしょうか。
大感動が小感動になっちゃうなんて、それはそれで可哀そうだし、もったいないことだから、この映画はこの脚本で万事オッケーだったんだと思うんです。

でね、この映画、ハリウッドで実写化するって決まったそうじゃないですか。
恐怖の予感がしてる人が多数いるみたいですけど、
ある意味、感動できなかった派にとっては楽しみじゃないですか?
もしかしたらハリウッド方式で、つまり1の方式で、描いてくれるかもしれないんですよ。
そしたらさ、私でも感動できる作品になるんじゃないかなー。
1の描き方したら、日本版で感動した人たちは怒るかもしれないんだけどさ。
作品のコアな部分が継承されて描かれるんだったら、1の方式になるくらいは、大目に見て許してほしいなーとか思ったりなんかする。




***

(注釈)
今回紹介した3つの感動形式は、以前、インターネットで無料公開されていた脚本術の読みものでした。
確か「シナリオの方程式」というタイトルだったと思います。
私は「葛飾、最後のピース」を、これを参考に完成させました。
当時はファイルがダウンロードでき、印刷したものが今でも手元にありますが、表紙などは印刷しなかったため正確なタイトルが分かりません。
今でも検索すれば関連HPに行けるので、興味のある方は検索してみてください。
著者は、中村あやえもんさんという方だと思います。





(潮)映画「君の名は。」のビート-3

君の名は。
11 /27 2017
※映画のネタバレしてます。
※この記事にあるジャンルやビートは、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※ジャンルやビートの説明については、このブログでは特にいたしません。ご自身でご確認ください。
※ジャンル分け記事同様、ビート分け記事も個人的なメモ要素が高いので、意訳になっていたり、映画を見ていないと解らない表記もあると思います。そのへんはもろもろお許しを。
※◇がビートです


*****


◆第3幕
※)なんだかすごく自信がないけど、ここからが第3幕だと思うんだよな…。

◇フィナーレ開始
 @タキが目覚めると、ミツハの体の中に入れ替わっている
 @彗星が落下する以前に戻ることができた
 @糸守町もミツハの家族も無事にまだ生きている
 @ミツハの髪型はバッサリ切ったあと



 @ミツハのばあちゃんとの話から、体の入れ替わりが起きていたのがミツハとタキだけではなかったことが判明
 @ミツハのばあちゃんにも、母ちゃんにも、入れ替わりが起きていた
 @ミツハたち神社家系が代々入れ替わりを体験するようになっているのは、どうやら、1200年ごとに彗星が落ちることを示唆する特殊能力的ななんとかかんとか
 @舞とか口噛み酒とか、火事で失われた神事の理由も、きっと彗星が落ちることを示唆するなんとかかんとか
 @そんな小難しいことに気づくタキ



 @だが、ミツハのばあちゃんをはじめ、町民は彗星落下のことなど誰も信じてくれない
 @自力で糸守町を救うことを決意するタキ
 @唯一信じてくれたテッシーら友人と協力して、彗星落下から町民をみな生き延びさせる計画を練り、準備していく



 @彗星が落下するからと説明し、ミツハの父(町長)に、町民を避難させるよう直接かけあうタキ(ミツハの体で)
 @しかしミツハの父は反対し、「お前は病気か? 病院へ行け、話はそれからだ。妄言は宮水の血筋」とかなんとか
 @まったく聞く耳持たないミツハの父。その胸倉につかみかかるタキ(ミツハの体で)
 @ミツハがミツハでないことに気づく、ミツハの父
 @しかし説得はうまくいかなかった



 @誰も彗星落下のことを信じてくれず、「ミツハでないと説得できないのか、俺じゃダメなのか」と思うタキ
 @前日に(だったっけ?)、ミツハが東京へ行っていたことが判明。一体なぜ?
 @もしかすると今現在、自分と入れ替わっているミツハは、自分の体がある場所、つまり口噛み酒を飲んだあの祠にいるのではと思い当たるタキ
 @急いで祠へ向かう



 @一方ミツハは、祠にてタキの体の中で目を覚まし、糸守町が壊滅している風景(タキの住む現在)を山頂から見下ろす
 @自分はあの時、彗星落下によって死んだのだと自覚するミツハ



 @ミツハは髪を切る直前、タキに会うため東京へと出向いていたことが判明
 @風景、記憶を頼りに、タキを探して東京をさまよったミツハ
 @奇跡的に東京でタキを見つけるが、ミツハが声をかけても、名前を名乗っても、タキはミツハが誰だか分からない
 @今目の前にいるタキが、体の入れ替わりが始まる前のタキ、つまり3年前のタキだと気づいていないミツハ
 @別れ際、髪を結っていた組み紐をタキに渡すミツハ
 @タキは祠へ向かいながらこの出来事を自力で思い出し、ミツハは3年前に会いに来てくれていたのだと知る
 @手首に巻いている組み紐をもらった相手は、3年前のミツハだったと判明



 @祠のある山頂に到着
 @時を超えて、今同じ場所にいるだろうミツハを探すタキ
 @名前を呼ぶタキの声が時を超えて聞こえ、ミツハもすぐ近くにいるだろうタキを探す
 @声を頼りに、互いを探す二人。声ではすぐ隣にいると分かるが、姿は見えない
 @黄昏時のほんの一瞬、やっと、初めて、互いの姿が見える
 @それとともに、体の入れ替わりも元に戻る



 @再会の喜びもつかの間、彗星落下からみんなを避難させなければいけない二人
 @もう互いの名前を忘れないよう、ミツハの手のひらに自分の名前を書くタキ
 @ミツハもタキの手のひらに名前を書こうとするが、その瞬間、黄昏時は終わり、二人は再び分かたれる
 @一瞬で目の前からミツハが消え、3年後の山頂に残されるタキ
 @やっとミツハの名前を思い出した、もう大丈夫。そう確信するのに、またしてもあれよあれよで名前を忘れていくタキ



 @彗星落下直前に戻ったミツハ、テッシーらと練った計画通りに町民を避難させようと奮闘
 @だがその間にも、タキの名前を忘れていってしまうミツハ
 @計画通りに事は運ぶが、危機感のない町民の避難は遅々として、彗星落下まで間に合いそうにない
 @タキの名を思い出せない事にパニックなミツハだが、テッシーに促され、直談判のため父の元へ走る
 @町長である父が彗星落下を信じてくれさえすれば、迅速な町民への避難指示が出る、みんな助かるはず
 @だが父のもとへ向かう途中、ミツハらの計画(いたずら扱い)は役所によって阻止され、町民の避難が止まってしまう



 @走りすぎて派手にすっころぶミツハ
 @町民の避難は止まってしまうわ、タキの名は思い出せないわで、心折れそうなミツハ
 @タキとのことに現実感がなくなっていくミツハだが、手のひらにはタキが書いたはずの彼の名がある
 @と思いきや、タキの名は「好きだ」の文字にすり替わっている
 @文字はすり替わっているが、その文字があるということは絶対に夢じゃないはず
 @再び奮い立つミツハ
 @猛ダッシュで父のいる町長室にたどり着く



 @彗星のかけら、糸守町に落下
 @爆発
 @からの、町壊滅



 @一方タキ、山頂にて目覚める
 @自分がなぜこんなところに倒れていたのか分からないタキ



 @彗星落下から8年の時がたち、時間軸は映画のオープニングに戻る
 @社会人になったタキ
 @以前、奥寺先輩と男友達その1と糸守町へ行ったことはあるが、その時のことはぼんやりとしか記憶にないタキ
 @なぜ当時の自分がそんなにも、糸守町にこだわっていたのか分からない


◇FINイメージ
 @タキがミツハを助けに行く前とは、現実が変わっている
 @糸守町に彗星のかけらは落ちたが、町民はみな無事に助かった
 @当日は偶然にも、町をあげての避難訓練がされていたので、かけらの落ちた場所には誰もなかった。という現実になっている



 @社会人のミツハとタキ
 @映画のオープニングにもあったように、お互いに欠落感を抱きながら暮らしている
 @街中ですれ違うが気づかないタキとミツハ
 @なんかもう、胸中の欠落感にもやもやもやもやもやしながら暮らしてる
 @そんな生活を続ける中、並走して走る別々の電車内に互いを見つける二人
 @目が合い、奇跡的にやっと見つけた感爆発
 @二人とも次の駅で電車を降り、大慌てで互いを探す
 @探して探して、やっと出会う
 @互いが互いの欠落感を満たす相手を見つけたことを確信
 @互いに、忘れてしまった相手の名をたずねあう



おしまい


****

【感想】
どうですか、この無理やり仕分けた感!
そりゃそうだよ、ハリウッド式のシナリオじゃないんだから。
無謀すぎたな。
でも勉強になりました。
この映画に関しては、もう少し書き留めておきたいことがあるけど、それはまた今度。
別記事にします。




ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

ぐろわ姉妹
潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人

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