◆脚本術/ジャンル仕分け - さかえのよ

(潮)映画「チャッピー」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /14 2017
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※ネタバレしてます。


***

記事の整理をしていたら、ずいぶん前に書いたジャンル分けの記事が下書き状態で眠っていたのを発見しました。
保存された日付見たら、去年の4月でした。
忘れすぎ。
もったいないので、本日UPします。
(^-^)/

***


◆映画「チャッピー」
ジャンル:スーパーヒーロー



これは、警察用として開発された人型ロボットが、自分の意思を持ったらどうなるかという話です。
通常は、人間警察官のかわりに危険な場所へと進撃し、命令通りに犯人確保などを行うこのロボット。自分の意思はありません。
ですが、何百体といるロボットの中の1体が、開発者の手により実験台として人工知能を搭載されることに。
ただのロボットでなくなったこの1体はチャッピーと名付けられ、アクシデントから警察側ではなく犯罪者側と行動を共にすることになります。

スーパーヒーローは、特別であることを描くジャンルだそうです。
他とは違う能力を持ち、それゆえに周囲からは理解されず、それでも最強の悪漢を倒さなければならない。
そんな感じのストーリー。
最強の悪漢を倒すのはみんなのためになることなのに、それを感謝されるのはかなりあとになってからで、戦いの最中はむしろヒーローのほうがみんなから嫌われているという構図。
少数の仲間はいても、基本切なく、孤独な戦い。

たぶん王道のエンディングとしては、
「悪漢を倒しました、みんながヒーローに感謝します、大団円」
ってな感じなのでしょうが、この映画はちょっと違う方面に流れていったのかなと思います。

最後に悪漢を倒すものの、みんながヒーローに感謝するというシーンへは行かず。
チャッピーが人目を忍び、重症になったり殺されてしまった仲間二人(人間)を、自分と同じ人型ロボットへと生まれ変わらせるという展開になります。
そこでエンドです。
これは人間では開発できなかった技術で、意識(魂)をデータ化することに成功したチャッピーの功績です。
データさえあれば、生前の意識をそのままロボット内に移植可能、永遠に生きられる、となったわけですが、それが今後どういう展開を呼ぶのか解らないまま映画は終わっています。

作品のテーマはきっと、「人間とロボット、どっちが優れているか」といったところだと思うのです。
メタファーも散りばめられているようで、アメリカという名の仲間キャラが悪漢に殺されるとか、悪漢はクリスチャンだとか、チャッピーが自分を開発した人を「創造者」と呼ぶなど、社会的な背景とか宗教的な背景とか解れば、もっと楽しめる作品のようです。

サイモン・バーチに続きまたまた詳しくはないのですが、キリスト教では「罪と赦し」というのは重要なポイントですよね。
赦すとか赦さないとか、他の映画でもキリスト教徒のキャラが言ってるのをよく見かけます。
これが、作中ではかなり重要な描かれ方をしていて。

作中、悪漢クリスチャンは非常にヒドイことをするのですよ。
生きてる人間をね、自分の操る遠隔ロボットで無残に殺すのですよ。
それは、チャッピーが慕っていた仲間なのですよ。
これにチャッピーは猛烈な怒りを感じるのです。
で、遠隔操作していたところまで行って、悪漢本人をぼこぼこにするんです。
でも、チャッピーは彼を殺しはしない。
「赦す」のです。

人間であるこの悪漢は、もっと些細なことも赦せなかったんです。
チャッピーを開発した者の功績をねたみ、そのねたみから命を狙うまでに暴走していきました。
でもチャッピーは悪漢の最大の罪であろう「殺人」すら、「赦す」とした。人間でもないのに。
チャッピーには人間以上の知性がある。
見ている側としては、「どっちが優れてる?」って考えさせられます。
本当に人間って素晴らしいの?って。

チャッピーが最後にロボット化させた仲間は、「創造者」と「ママ」です。
ちなみに「パパ」は死ななかったので、人間のまま生きています。
どうやら、創造者、ママ、パパ、チャッピー、の4人で生きていくつもりらしいです。

宗教的な目で見ると、色々と考えちゃうだろうなっていう作品でした。
問題提起するような作品なのかな。
面白かったです。

※アメリカというキャラの惨殺シーンは、日本版では2秒ほどカットされているようで。
それが重要なシーンだから映画会社はブーイングを受けているようですが、まぁ、カットされていても何が起きたかは想像できます。
私の場合は、想像したシーンはそのままちゃんと当たっていました。
確かに重要なシーンだし、カットするのはもったいない。
できればちゃんと全部見させてほしいし、見ることによってのみ起きる、感情の盛り上がりってもんがあるんだよなとは思う。
私も、カットするなとは思う。
でもそれ以上に思ったのは。
そこをカットされても内容が通じる、何が起きたか解る、そんな作リ方になっているのが素晴らしいと思いました。





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(潮)映画「シュガーラッシュ」のジャンル

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /08 2017
つい数日前にアナ雪が地上波でやってましたね。
放送が近いとは知らずにビート仕訳なんかしてしまって、公開答え合わせされてるみたいな気がしてヒヤヒヤした(^_^;)
どうだったんだろ、大きくは間違えてなかったかな?

さて。
一番初めにビート仕訳したシュガーラッシュなんだけども。
ジャンルは金の羊毛としてましたが、違ったんじゃないかなってジワジワと思ってきました。

メダルを手に入れるのが目的というところに着目して金の羊毛としたけれど、メダル自体は中盤で手に入るし、しかもそこで捨ててしまうんですよね。
そのへん考えると、金の羊毛じゃなかったのかなと。

序盤のテーマの提示では、悪役である自分を受け入れるんだ的なことが提示されてました。
そして最終的にもやはり、ラルフは悪役である自分を受け入れるようになっていました。
現状の自分を受容するというのは、人生の岐路だったと思います。

この映画も人生の岐路なのかなー、というのが今の考えです。
もう少し悩んでみてやっぱりジャンル違ったなと思えば、シュガーラッシュの記事をこっそりと修正しておきます。



【追記 2017/3/10】
やっぱり人生の岐路に変えました。
ここに、二つのジャンルの条件を書いておきます。
こう並べてみると、なんでシュガーラッシュを金の羊毛だと思ったのかと、過去の自分を小一時間尋問したいです。


●金の羊毛
1 道がある……つまり、主人公が報酬にたどり着くまでの「道のり」がある話。旅が短いか長いかは関係ない。旅とは比喩であり、実際には旅でなくてもいい。
2 仲間がいる……主人公の道案内として必要なメンバー。主人公にはないスキルを持っている。
3 報酬がある……主人公の目的そのもの。それは、帰郷、宝、生存権など、原始的なもの。


●人生の岐路
1 人生における問題……思春期から中年、死に至るまで、誰もが理解できるような人生の悩み事が主人公にある。
2 間違った方法……主人公は悩み事を、間違った方法で解決しようとする。たいていは苦しみから目をそらすために。

3 真の解決法は受容……主人公がずっと拒否してきた過酷な事実の「受容」こそが、真の解決策。変わらなくてはいけないのは周囲ではなく自分だと、主人公が悟ること。 


(潮)映画「君の名は。」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
01 /19 2017
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※ネタバレしてます。


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今から、映画「君の名は。」のジャンルについて考えてみたいんだけど、実はまだこの映画を見ていません。
小説のほうは読みました。
映画については、鑑賞した方のレビューとか、生の声とかを聞いただけです。
だからかなりの勢いで推測だし、大したことは書きませんし、自分が忘れないためのメモです。
映画と小説に違いはあるそうですが、まったく別物という次元でもないそうなので、ジャンルについて書いてみます。

この映画を観た方は、途中でビックリ展開になると皆さん口をそろえておっしゃいます。
今まで体入れ替わり系のラブコメかと思っていたら、突如、彗星が地球に向かって落っこちてくる展開になるからだとか。
そこがこの映画の面白いところのひとつだそうです。

私自身、映画を観てないからハッキリとは書けないのですが、なんで皆さんがここでビックリするかというと、「save the cat」でいうところの「ジャンル」がここで切り替わるからじゃないかと思うのです。

映画のスタートはこんな設定、展開から始まりますよね。
1…とある男女がいて、二人の体が入れ替わる
2…しかもきっかけは、入れ替わりたい(生まれ変わったら男になりたい)と願ったこと
3…二人はウマが合わない真逆のキャラ
4…でも力を合わせて、入れ替わるという現状をなんとかしなければならない

ここで観客側は無意識ながら、ジャンルの予測をするんだと思うのです。
1、2の要素は、「魔法のランプ」というジャンルに属すもの。
こうなりたいと願った結果、その魔法が手に入り、本当にそうなる。
これが魔法のランプ。
これをもとに、3、4の要素を加味した結果、観客はこの映画を「ラブコメ要素の入った、魔法のランプ」だろうと思い込むんじゃないでしょうか。

だからしばらくは、「魔法のランプ」のつもりで映画を観ている。
なのに突如、彗星落下の危機がやってくる。
なんだなんだ、思ってたのと違うぞ!?
って観客は驚く。
この、「一般市民が彗星落下を阻止せねばならない」という展開に、観客はこう思うのではないでしょうか。
この映画は「難題に直面した凡人」ジャンルだったのか!と。

何の落ち度もない一般市民がいて、彼が突如としてとんでもない事態に巻き込まれる。
普通の人が、異常事態に立ち向かう。
この異常事態をなんとか切り抜けなければ、自分やみんなの命がなくなる。
最悪、地球がなくなることもある。
そんなジャンルが「難題に直面した凡人」です。
ダイハードや、アルマゲドンの世界です。
サバイバル要素が入ったジャンルです。

「君の名は。」は、男女二人の体が入れ替わらなくなったあたりからが、第2幕だと思います。
二人の体が入れ替わった、学校でどうのこうの、うそでしょ、ホントなの?、どうのこうの、夢でしょ?、夢じゃない?、どうのこうの。
というあたりは全部、第1幕だと思います。
観てないからどこまでって言えないけど…。

この3幕構成にもビックリの要素があって。
「魔法のランプ」だと思って観ている観客は、二人の体が入れ替わったところからが第2幕、と感じていると思うのです。
だからジャンルだけでなく、構成の上でも、彗星落下にビックリするんだと思うのです。
まだ本題に入ってなかったのかよ!と。
今までのドタバタ劇はセットアップだったのかよ!と。

映画のCMなどには、基本的に、第2幕における「お楽しみ」というビートを使うのだそうです。
観客はその映像や展開を楽しみにして、見に来るのだそうです。
「君の名は。」が宣伝でよく使っていたのは、「二人の体が入れ替わってる!?」というシーンですよね。
そこからしても、観客はいい意味でだまされたのかな。
第2幕ではなく、第1幕内のシーンを宣伝にしていたということですから。
予測とは違った映画を見せられた感じがすると思います。

彗星落下を阻止しなければならない、阻止できなければ大切な人や街を失ってしまう、という難題に直面した凡人、瀧とミツハ。
もうね、体が入れ替わるという「魔法」がある時点で本来なら「凡人」ではないのだろうけど、ジャンルが難題に直面した凡人になっているので、その魔法もコミコミで「凡人扱い」になってると思います。
現実世界が舞台な場合、必然的に「体が入れ替わる=魔法」になってしまうと思うのですが、この映画では「魔法が起きている状態が普通」になったところから第2幕に入ってるので、観客側ももうその魔法を魔法でないつもりで見てるのかなと思います。

それで、まぁ、入れ替わりの魔法を駆使しながら、二人は彗星落下を阻止しました。
そこで大団円かと思いきや、そうはならない。
この映画にはずっと、「相棒愛」ジャンルの要素が付きまとってるんです。

相棒愛の要素…
●初めて出会った二人は、お互いに嫌いあっている。
●でも交流しなきゃならない状態を続けているうちに、相手の存在が必要で、二人そろって初めて一つの完成体になることが分かってくる。

これらをまとめると瀧とミツハは、

●魔法によって出会い、交流しながら、
…魔法のランプ

●互いが互いにとって必要な存在、大切な存在、運命の人(相棒・パートナー)であるとわかり、
…相棒愛

●彗星落下を阻止するという難題を力を合わせてやってのけた
…難題に直面する凡人

ということになるかと思います。
なんと、3つのジャンルをまたいでる!

映画見てないから、どういう作りになってるのかホントにわかんないけど、この内容がよく短時間にまとまったなぁと思います。
普通の映画よりも短いですよね、確か。
すげぇや。
途中で互いのことが記憶から消えていくのは、「魔法」が解けていくからで、その辺の切なさが、「会いたいけど会えない、私に必要なあの人」という相棒愛の要素を盛り上げてるんだろうなぁと思います。

観終わった後の観客は、どんな思いになるんだろうね。
3つのジャンルを怒涛の勢いでいっぺんに見せられたから、きっと、頭が飽和状態だよね。
このジャンル急展開についていった人だけが、感動できたのかな?

多分だけど、今まで映画好きとか、映画鑑賞に慣れていた人のほうが、君の名は。を観たときガッカリするのかもしれない。
「なんだ、この映画!?」って違和感覚えて、「つまらない」って思うのかもしれない。
「新しい」って思えた人か、「新しいかどうかも分からない、映画初心者」みたいな人が意外と楽しめるんじゃないかな。と思った。

この映画がヒットした理由のひとつには、この「ジャンル混合の意外さ」もあったんじゃないかなと思います。
もちろんほかにもいろいろ理由はあるよね。

あー、あと、怒涛展開なのにもかかわらず、上手にまとめられたのは、きっと音楽を使ったアイデアのおかげなんだろうなと思いました。
PV映画とか言われたりするらしいけど、きっと効果としてはミュージカルみたいなもので。
感情や状況を歌にすることで、ぎゅっと濃縮。
時間短縮するテクニックだと思う。

映画は何回も見ないとジャンル分けしたり、ビート分けできないから、今回はこれだけにしておきます。
さすがに映画館で何度も見るお金ないし、放送されるのが楽しみ。
いろいろ間違ってたらごめんなさい。


【2017/1/26 追記】
書き忘れ。
この映画のジャンルは3つにまたがっていると書きましたが、総合的なジャンルは「相棒愛」だと思います。
そこが完結して初めてエンドなので。
ほかの二つは付属品みたいなものかなぁと。




(潮)小説「カラフル」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
11 /18 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※ネタバレしてます。


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◆小説「カラフル」
ジャンル:金の羊毛

今日は映画じゃなくて小説。

森絵都さんの本。
題名だけで、読みたかった作品。
人生についてのことが書いてあって、きっと、人間そのものを色にたとえている。
色んな色があるね、こんなにカラフルだよ、みんな違ってみんないい。
そんな内容なんだろうな、と題名だけで当たりをつけていた作品。

で、結局はやはり、そういう落ち着きどころの作品でした。
「十人十色、世界はなんてカラフルなんだ」
作中でそんな風に書いてあったかは覚えてませんが、主人公が学ぶのは、そんなことだったと思います。
なんだろな、やっぱり映画よりも記憶があいまいになりますね。
小説は。
私の脳内映像化技術がオソマツだからでしょう。

この作品も、ベンジャミン・バトンと同様、「人生の岐路」か「金の羊毛」かで迷いました。
私はこの2つのジャンルがどうも好きみたいです。
よくよく、引っかかる。
好きとはいっても、金の羊毛の中では、ロードオブザリング的なのにはあまり興味がなく。
「人生についての答えを探してる系」の、書き方が違えば「人生の岐路」なんじゃない?っていう金の羊毛が好き。
つまりは、人生の岐路が好き。

で、カラフル。
今回は、一応「金の羊毛」で落ち着いてみました。
たぶん、内容的に「金の羊毛」ではないかと。

主人公は、大きな過ちを犯して死んだ魂。
このままでは輪廻の枠から外され、消滅してしまいます。
その魂が「修行」のチャンスを与えられる。
今まさに死の淵にいる少年の体に乗り移り、その少年のフリをして再び下界で暮らすのです。
少年のフリをしつつ下界で暮らすうち、自分の犯した過ちを思い出すことができたら、そこで修行終了。
見事、輪廻の枠に戻れます。

こんな冒頭なので、金の羊毛っぽい。
金の羊毛とは…

●「道」がある
●「仲間」がいる
●「報酬」がある

主人公が手に入れたい原始的な「報酬」。
カラフルの場合は、「輪廻の枠に戻る」こと。
そのために主人公は「道」に出て、なんらかの旅をしなければならない。
カラフルの場合は、「下界」に戻り、修行をしてこなければならない。
主人公の旅には「仲間」がつきもので、彼らは主人公にはない能力などをもち、主人公を手助けする。
カラフルの場合は、修行のガイドとして現れた「天使」がそれにあたる。

読んでいて、すんごく日本的だなぁと思ったのが。
主人公のやる気のなさ。
下界へ旅に出る気ない。
超、イヤイヤ。
修行してまで輪廻の枠に戻るつもりもない。
行けって言われるから、仕方なく。

こういうの、save the cat では、やっちゃダメって言われてる。
初めはイヤイヤでもいいんだけど、とにかくなんらかの理由をつけて、主人公が自ら踏み出すように仕向けなきゃいけないとか書かれてる。
イヤでもやらなきゃいけない、切迫した理由とか出せと。
自らの意思で第二幕に入っていかなければならない。
そうでないと、観客がついてこない的な。
動機がアマい感じにうつるのかな。

ちょっと否定的なこと書いちゃってますけど、カラフルの書き方が悪いと言いたいわけではありません。
ドラクエの主人公もだいたい、こんな感じで受動的だし。
こういう主人公は日本人向けで、逆に共感しやすいという人も多いのだろうと思います。

でも、でもね。
save the cat で言われてることも、やっぱり一理あるなって思ったんです。
実際にこの小説読んでみて、あんまり引き込まれなかったのですよ。
イヤイヤで第二幕に入っていくところまでは、私も日本人なので平気でした。
でもその後も、主人公がけっこう長い間、受動的なんです。
「これのために」、下界での修業を頑張ろう。
そう思い始めるのが遅く感じました。
ストーリーの途中、主人公が、「体を借りている少年が生き返れるよう、自分が修行を頑張ろう」って思い始めるのですが、それがかなり最後のほうだったんです。
もうちょっと初めの方でそうなってくれれば、感情移入しやすかったのかなぁとか、save the cat を読み返しながら思ったり。

でもね、内容はすごく好きな作品だと思ったのです。
かなり初期段階でオチが読めるんだけど、それもまたイイんですよね。
主人公(魂)の正体は、のりうつった少年だった、っていう回帰なオチ。
自分の体に乗り移って修行していた、っていうオチ。
オチに確信を持ちつつ読み進める快感がたまらなくイイ。
主人公が「視点を変えて物事を見る」的なことに気づくのも好物系だし。

save the cat が禁忌にしている、主人公がイヤイヤで、長いこと受動的で、っていうのも、日本の若年層向けとしてはイイのかもしれません。
逆にこの「感じ」が、日本の若い人にはいいのかも。
感情移入がしやすいのかも。
なんかもう、そんな感じとっくに忘れてる私はBBA(ーー;
最近ね、RPGとかも楽しくないんだよね、アハハッ!

save the cat が一理あるって思ったのは、あの本は「万人向け」を目指しているからです。
もしカラフルの主人公が、save the cat にそった動きをしていたら、「私でも」感情移入できたんだろうな、と思えたから。
save the cat は、「誰にでもわかる」とか、「原始人でも感情移入できる」とかが目標。
どの国で上映しても、一定数に観てもらえる映画。
そのための脚本術だから。
なるほどなーって。たしかになーって。

けど、日本人が日本人のために作ってるんなら、そんなのムシでいいと思うし。
日本の中でも、年齢層ごとにツカミは違うと思うし。

もしカラフルが若年層だけじゃなく、成人層も読者として視野に入れてたなら、自然と主人公のイヤイヤ感はなくなってたんだと思うな。
save the cat どうこうじゃなく。
自然とそうなってたと思う。
どの年代層でも感情移入できるように。
それをしてないってことは、きっと初めから、ピンポイントに年齢層を限定してるんだと思います。
そういうやり方もアリだし、需要は確実にあるはずだよなって思いました。

以上。





***

おまけ。


カラフル。
こないだ言ってた、ずっと読みたかったけどスルーしてた本ってこれでした。
一人称だから、今は読みたくないななんて思ってたんですけど。
不意にやっぱり読みたくなって。
でも図書館行ったら見当たらなくて。
諦めて帰ろうかななんて思ったら、「何が出るかな?」的なコーナーを発見しまして。

図書館員がテーマにそって、三冊ずつ選んだよ!
新聞紙で包んだから中身が見えないよ!
さぁ、何が出るかは借りてからのお楽しみ!
君ならどのテーマを選ぶ?

基本的には、活字離れしてるという若年層に向けてのコーナーでした。
中身もたぶん、中高生向けの本が入ってる。
でもオイラは見事に引っかかったね。
だって自分じゃなにを読んでいいか解らんし、テーマで絞ってくれるなんて、こういうの助かる。
どれにしようかな?
それぞれのテーマを見てるうち、その中に「カラー」っていうのを発見。
カラー!
直感的に、この中に「カラフル」が入ってると思い、ソッコー手に取ってカウンターへダッシュ。
見事に入ってたので、これはもう読めってことでしょう、と一日で読みました。
若年層向けだからかな、読むのにまったく時間がかからなかった。
カラフルは、題名と黄色い表紙が気になってただけなので、若年層向けだとは知らなかった。
思春期をとっくに終えてしまった私にとっては、主人公が母親の浮気を毛嫌いするくだりとか、父親を人でなしのように感じる部分などは、ほとんど共感できなくて、そのせいで感動とまではいかないけど、内容は好物でやはり面白かったです。

(潮)映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
11 /17 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます。


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◆「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
ジャンル:人生の岐路

デビッド・フィンチャー監督の作品です。
以前は、監督とかほとんど気にしないで見てたほうだったのですが、最近はちょっと気になります。
デビッド・フィンチャー、聞いたことある気がするけど、他に何の作品を?
「セブン」「ファイト・クラブ」
そうなんだ。
ブラッド・ピットが好きだった私にとって、意外と触れていた監督さんでした。
で、この作品も、ブラッド・ピット主演。

有名な映画ではありますが、この映画を簡単に説明すると。

「不気味にも老いた体で生まれた少年は、歳をとるにつれ体だけは若返るという特異体質だった。
自分は若返るが、愛する人は老いていく。
それに伴う苦悩に振り回されつつ、自らの人生を見つめ、愛する人と関わっていく話」

こんな感じでしょうか。

この映画、人生の岐路か、金の羊毛かで迷いましたが、一応最終判断としては、人生の岐路にしてみました。
映画の内容からして、人生の岐路じゃないかと思うんですよね。
前にも書いたかもしれないけど、人生の岐路というジャンルはこんなものです。

●主人公が苦悩している
●その苦悩とは、誰にでも訪れがちだが、誰にとっても受け入れ困難な内容のもの
●主人公が本当の自分を受け入れた時に初めて、その苦悩が終わる

二番目の項目が解りづらいかもしれませんが、たとえば「愛する人との死別」とか、「配偶者の浮気発覚」とか、「思春期における周囲との対立」とか、そんな感じのことです。現状を受け入れられないからこそ起こる苦悩、といった感じ。

ベンジャミン・バトンは普通の人間とは違うわけですが、苦悩の種類でいうと、凡人とそう変わりありません。
「老いた体で生まれ、若返りながら育ち、赤ん坊の状態で最期を迎える」
普通と違うのはこの設定だけ。
苦悩してるのは、

「生まれて、生きて、死ぬ。とはどういうことか」
 +
「ずっと一緒に、愛し合って、とにかく普通に暮らしたいのに、それができないつらさ」

です。つまり、

「人生ってなに?」
 +
「一緒にいたいのに、いられない!」

これだけです。
save the catで言うところの、「原始的な動機」にあたるのはこの辺なんじゃないかなぁと。
よくあるつらさ。
今も昔も変わらない、誰にでも訪れるような、普遍的なつらさです。

後者に至っては、ロミオとジュリエット的なつらさ、とも言えるでしょうか。
ベンジャミン・バトンの場合は、ロミオたちのように周囲の反対があってというよりも、自分自身が反対してるだけですが。
ベンジャミンが頑なに自分を受け入れてないだけ、とも言える。
見ている側としては、そんなの気にしなきゃいいじゃん、一緒にいなよって思うけど、一緒にいられないというベンジャミンの気持ちも解るから感動的なんだと思います。
この普遍的なつらさに付随して、老いていくこと、人には抗えない自然の力、運命、といった悩みが上乗せされていきます。
辛い状況になったとしても、その人生を受け入れる…といった道のりになっていきます。

金の羊毛と迷ってしまう理由は、きっと、主人公が「答えを探している」からなんじゃないかと思います。
「探し物をして旅に出る」っていうのと、どことなく似ているなぁなんて。



作中で繰り返されるキーワードが幾つか。
「永遠」
「みんな孤独」
「人生はわからない」

この辺がテーマなんでしょう。
「人生はわからない」
確かこのセリフがかなり初期から出てきてたから、これが「テーマの提示」というビートになるのかな。
ベンジャミンは「みんな孤独」だということを人生の中で知り、その後、「永遠はある」と言うようになります。
自らの人生を受け入れたからこそ、そう言えるようになったのです。
その変化こそが、「人生とはわからない」もの、になるのかと思います。



メタファーでいうと、色々とアメリカ人なら気づくんじゃないかなというものが散りばめられているっぽいです。
アメリカの歴史的な背景とか。もろもろ。
たとえば、こんなの。

この作品は、基本的に過去を振り返るパターンの映画なのですが、現在の時間軸は2005年で展開していて。
2005年に起きたハリケーン・カトリーナが接近中、という状態が現在の時間軸です。
なんでも甚大な被害を及ぼしたハリケーンだったそうで、原作にはないこのカトリーナを出すことで、当時まだ復興中だった人々へ、様々な励ましのメッセージをこの作品は伝えようともしているそうです。
人生を受け入れるための、メッセージ。
この映画は人生を受け入れるための名言が満載なので、そういうのが好きな人には本当におすすめ。

でもこういうメタファーは、私にとって、映画のことを調べたからこそ解る背景。
地元民ならすぐ気づくのでしょう。

私に気づけたのは、ベンジャミンという名前の意味くらいでしょうか。
ベンジャミンって植物があります。
調べたら、花言葉には「永遠の愛」というのがあるそうで。
でもこれ、日本語版の花言葉かもしれません。英語だと違うかも。
もし英語で違うのだとしたら、ある意味、奇跡的なメタファーになってます。

逆行する時計とか、ハチドリは無限を描きながら羽ばたくとかは、作中でもハッキリ提示してるメタファーなので、誰でも気づけます。こういうハッキリしたのはメタファーって言わないのかな? 言うのかな?

あとはなんだろな。
怪しいのは、ベンジャミンの実家が「ボタン工場」を営んでいた事かな。
「ボタン」になにか意味があるっぽくて。
ネットで色んな人の気づきを拝見すると、ボタンについても色々あるんですけど。
私個人としては、「ボタンそのものを人間にあてはめている」んじゃないかなと思いました。

ボタンには様々な色や形、種類がある。
それは人間も同じ。
人間にもいろいろいて、それぞれに違った色合いの人生がある。
人は皆、孤独である。
ボタンもまた、本来は孤独である。
だがボタンとは、右と左をつなぎ合わせるものでもある。
ボタンにあったボタンホールや、ボタンを引っかけるためのループさえあれば、何かと何かをつなぎ合わせることができる。
それがボタン。
人も人同士、つなぎあってみたり、また外れてみたり。
ボタンと同じく、掛け違えればおかしなことになったりもする。

ベンジャミンも、人生の中でいろいろな人と関わり、その時々で、互いのボタンをかけるように心を寄せてきた。
人は生まれて、死んでいく。
出会っては、別れていく。
それはまさにボタンようで。
かけては、外れていく。
合わさっては、離れていく。

幼い頃のベンジャミンは、その状況を憂えてるようなところがあった。
きっと悲しかったんでしょう。
永遠なんてない。
まさにそんな気持ち。
でも答えを求めて悩み続けた結果、ベンジャミンは「それが人生なんだ」って受け入れたのだと思います。

三時間くらいある映画だけど、面白い映画です。
ほんとに、無駄なセリフがありません。
すべてのセリフがテーマにそっていて、語られる意味があります。





(潮)映画「サイモン・バーチ」を分類

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /30 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます。

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◆サイモン・バーチ
ジャンル:金の羊毛

幾つかのジャンルで迷ったんですが、消去法で「金の羊毛」に落ち着きました。
毎度のことながら、メモ的に書いているので支離滅裂ご勘弁を。

この映画の扱っているテーマは、「神の計画というものが、あるのか、ないのか」です。
主人公は少年ジョー。神の計画なんか信じていません。いわゆる現実主義。
その親友がサイモン・バーチ。なんとか症っていう、大人になっても小人のような小さい体を持つ人です。(ごめんなさい、病名忘れました。急いでるので調べないで続けます)
サイモンは、医者から「長くは持たない」と言われた自分が12歳まで生き延びたことや、そもそもこんな体で生まれたことにも、何らかの意味があると考えています。きっと神様が、何かの時のためにそう作ったのだと。神には計画があると。この体で生まれた意味、使命、それがきっとあると確信しています。

「金の羊毛」ですから、主人公が何かを探して旅に出るわけですが。
その探し物は「本当の父親」になります。

主人公ジョー(12)には美しい母がいます。
母は結婚しておらず、ジョーの父が誰なのかを彼女は誰にも言いませんでした。
大人になったら教えてあげると言われて育つジョー。
でもある時、事故で母は死んでしまいます。誰が父親なのか解らないままです。

ジョーとサイモンは、ジョーの本当の父親捜しを始めます。
最終的に父親は見つかります。
けれど「金の羊毛」のお約束通り、「探していた宝が見つかるが、見つかってみるとそれはどうでもよく、実は旅の途中でもっといいものが手に入っていた」という状態になっています。

ところで、「感動」の種類には2種類あると読んだことがあります。
1つは、主人公が成長することによる感動。
2つめは、メタファーに気づいたことによる感動。
この映画はすごくメタファーの効いてる感動的な作品でした。
どんなメタファーだったのかを少し書きますが、これを書くことで自ら気づくという感動を奪ってしまうと思うので、この映画を楽しみにしていた人は見てはいけません!
(><)ゴメン…!!
映画見てからもっかい来て!!

あと、これはキリスト教を土台にしたメタファーなので、ただの日本人である私には誤解もあるでしょうし、気づききれない詳細なメタファーもあるはずです。
キリスト教に詳しい方からしたら、私の説明にはモヤっとしたものが残るかもしれませんが、そのへんはご勘弁ください。
この映画はキリスト教に詳しい方のほうがより楽しめる、理解が深まる作品だと思います。




















●「父」に関するメタファー
この映画、信仰心を扱うだけに、教会通いや、教会関連のイベントがほとんどの場面です。
私はあまり詳しくないのですが、キリスト教の方々は神様のことを「ファザー(父)」と呼んだりしますよね。
この映画は先ほども言ったけど、「父親捜し」の旅です。

サイモンの両親は健在なものの、病気のサイモンを生まれた頃から大事にしていません。無視して、ほったらかし。
DNA的な父はいるが、彼に見捨てられているサイモン。
でもサイモンは、「本当のファザー(神)」を絶大に信じています。

一方、ジョーには「本当のファザー(DNA的な父)」がいない。そして信仰心もない。
終盤で見つかるジョーのDNA的父親は、いつも行く教会の神父さま。神父のことも「ファザー」と言ったりするそうで。
ジョーは、自分の左利きはきっと父親譲りだと思っていました。そしてそれは当たりました。
でも「信仰心のなさ」も似ていました。

サイモンのほうも「本当の父(神)」によく似ていました。
それは信仰心の強さや、彼が「父の子(キリスト)」のような振る舞い、考え方をするところに現れていたと思います。
このあたりが「父」に関するメタファー。


●子(キリスト)に関するメタファー
サイモンは「父の子」でした。つまりキリストのようなものでした。
この映画ではテーマとして「われわれ、誰もが父の子だ」と言いたいのでしょうが、とりあえず映画の中では、サイモン以外、自分自身のことをそう評価している人間はいませんでした。
クリスマスがやってきて、キリスト誕生の劇をやることになり。
サイモンは体が小さいので赤ちゃん役、つまりキリストに選ばれます。
本人は嫌がっていたけど、シナリオ的には適役ですよね。どはまり役。
あと、キリストと同じように、常識人が耳をふさぎたくなるような「正論」を堂々と言い張るところなどもありました。
権威者から煙たがられている感じも、理解されなかったキリスト風。


●母(マリア)に関するメタファー
メタファーとしてキリストであるサイモンは、ジョーの母親にとてもなついていました。
ジョーの母は、実の両親に見捨てられているサイモンをいつも温かく出迎え、いつも優しく気にかけ、彼の体が小さいことも蔑視してはいませんでした。
彼女はこの映画において、聖母マリアの象徴と思われます。
サイモンが、彼女の「おっぱい」をとても魅力的だと発言するシーンがあります。それは年頃の少年らしさとして表現されていましたが、メタファーとしては「マリアの赤ちゃんであるキリストらしさ」なのだと思います。
また、サイモンが好意を寄せている女子生徒にもマリアのメタファーが。
この女子生徒のほうもサイモンに好意を寄せており、サイモンはこの女子生徒の「おっぱい」も気に入っています。
そしてクリスマスの劇で、彼女はいやいやながらも「マリア役」に指名されるのです。
んでもって映画のラストでは、この女子生徒が「あなたこそ英雄よ」というようなことを言って、死にゆくサイモンの頬にキスをします。
母からのご褒美のように見えました。


●なんのメタファーか判断できなかったもの
もしかするとメタファーかなって思うのが幾つか。

1つめ。
ジョーの母は、サイモンの打った野球ボールが頭にあたり、ぽっくり死んでしまいます。
「キリストのせいでマリアが死ぬ」みたいなことがキリスト教にあるのだとしたら、それのメタファーかも?と思いました。
もしそういうエピソードがないのだとしたら、キリスト(サイモン)の「神の計画」が発動するために、マリア(ジョーの母)がわが身を差し出す。というような、深き愛情的なことかも?と思いました。

2つめ。
ジョーの母親が連れてきた新しい恋人、ベン。
彼が最終的にはジョーと養子縁組をして父親になる人なんですが、「演劇科の先生」なんですよね。
クリスマスの劇もあることだし、彼がなにかのメタファーっぽいんだけど、気づくことができませんでした。

3つめ。
物語中に「鹿」が何度か現れます。
この鹿がきっかけで、サイモンが使命を果たすことになります。
「使者」的な位置づけなのですが、なぜに「鹿」だったのかと。
日本では鹿は「神様の使い」といった話がありますよね。
外国にもなんかいわれがあるのかなー?なんて思いました。
…と、この辺で適当に検索した結果。
キリスト教と鹿には、関連があるそうです。




この映画みたいに、無駄のないメタファーで作品を作れたら…!
としみじみ思いますなー。
泣きましたわ。

なんだろうね。
主人公はジョーなんだよ。
でも心に残るのはサイモンなんだよ。




(潮)最近見た映画を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /14 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます

***

他にもたくさん映画を見たので、ざっと分類を載せておきます。
今度こそ手短に。
実はチャーリーズ・エンジェルの記事も、あれだけで一枚の記事にする気じゃなかった…
(--;






◆ブラック・スワン
ジャンル:組織の中で

ナタリー・ポートマン主演のバレエ業界映画。
セッションに通ずる内容で、またもいかれた芸術関連世界のお話。
白鳥の湖において、白鳥と黒鳥を演じ分けなければならない主人公。
白鳥は見事、清楚でおとなしいという自分の普段通りのキャラで演じきれる。はまり役。
でも黒鳥はまったくダメ。
もっとワイルドに、もっとセクシーに、もっと情熱的に!!
もっと自分をさらけ出せ! 己を壊せ!
お前の敵はお前自身だ!
セッションと同じく、周囲の圧力に負け、ほぼうつ状態になる主人公。
幻覚も見え隠れ。mon
けど最後には、あっちの世界へいってしまう。
いかれた状態を貫いて、いかれた世界の住人に。
本人だけがハッピーエンド。
魂だけがハッピーエンド。
体はズダボロ。ザッツ・いかれた世界。







◆モンスターズ・インク
ジャンル:難題に直面した凡人

だぶんこのジャンルであってるんじゃないかと思うんですが…。
このジャンルの代表作は、ダイ・ハードだそうです。
そう思うとほら、もう、この映画がダイ・ハードにしか見えない。
サリーがブルース・ウィリスにしか見えない。
何の落ち度もなかったサリーが、人間の子供がモンスターの世界にやってくるというとんでもない事態に巻き込まれ、とにかく対処し解決しなければならないという話。
モンスター界にとっての人間の子供は、地球にとっての隕石と同じようなモノ。
それが来たら、俺たちは滅亡だ。
これは生と死をかけた戦いです。モンスターズ・インクという会社だけではなく、モンスター界の滅亡がかかっています。
まさに難直凡。







◆モンスターズ・ユニバーシティ (モンスターズ・インク2)
ジャンル:金の羊毛

金の羊毛の中でも、相棒羊毛ってやつだと思います。
主に友情を描く系だそうです。
主人公たちは明確なお宝を目指して旅に出る。
この映画の場合は、
お宝=怖がらせ屋学部への復帰
旅=怖がらせ大会で優勝するまでの道のり
このジャンルでは、当初目指していたお宝よりももっといいものを見つけるというのが、お約束らしい。
この映画の場合は「友情」がそれにあたるみたい。







◆ヒックとドラゴン2
ジャンル:スーパーヒーロー?

1を見ていないからなのか、ちょっと解りにくかったような気がします。
これ、スーパーヒーローでいいのかな?
初めは人生の岐路かなぁとも思ったんですが、「ライオン・キング」とちょっと似ているような気がして。
ライオン・キングはスーパーヒーロージャンルだそうです。
特別な力を持っている主人公が理解されず、いったんは追放されるけど、戻り咲いて一転リーダーに。
この辺の流れが似ているような。
でもなんか釈然としなかったのは、なんだろう。
主人公であるヒックが特別な力をすでに理解されてるから、だったのかな…。
それとも数回に切り分けて見てしまったからか?
うーん、なんかモヤモヤする。
この話は1を見た方がいいかもしれない。







◆ベイマックス
ジャンル:人生の岐路

これはもう、人生の岐路で間違いないはず。
大切な人の死という、人生では避けて通れないテーマ。
敵役にもヒロのそれと通じる、行動理由があって。
二人とも間違った方法で、死の喪失感を埋めようとしている。
この二人は光と影、裏と表。
そんなような一対感が、この話にまとまりを持たせていたなぁと思う。
死は、受け入れるしかない。
受け入れて、生きる。







◆エイプリル・フールズ
ジャンル:なぜやったのか

これは、戸田恵梨香さん主演の邦画。
初めは何のジャンルが判断できなかったんですが、「なぜやったのか」に落ち着きました。
なぜやったのか、はミステリー系のジャンル。
基本的に主人公は探偵ポジションで、起きてしまった事件の真相を暴いていくのがストーリーの展開。
事件を起こした犯人の考え、理由、そういったものを暴いていくジャンル。
ただひたすら、証拠となるものをめくっていくものだそうです。
それが犯罪でなくても、こういう展開のものは「なぜやったのか」ジャンルになります。
この映画における探偵ポジションは、ユースケ・サンタマリアさん演じるレストランのホール係ではないかと思います。
映画としては群像劇なんですが、彼だけは彼自身のエピソードがなにもありませんでした。
観客と同じ目線の人物ともいえる、まさに探偵ポジションかと。







◆スプラッシュ
ジャンル:相棒愛

トム・ハンクス主演のラブストーリー。
お相手は人魚。
まったく違う世界の者同士が惹かれあい、結ばれたと思ったら引き裂かれ。
最後には別れが…でも君なしじゃ生きていけない、一緒に行こう!
そんなストーリーでした。
二人でひとつの完全体になる。
君なしじゃダメだ!
そんな内容のストーリーなら、異性間でも同性間でもはたまた異種間でも、それが友情でも愛情でも、相棒愛というジャンルになります。
要は切っても切れない赤い糸です。







◆ジョー・ブラックをよろしく
ジャンル:魔法のランプ

ブラッド・ピット出演の映画がしこたま放送してたので、連続で書きます。
もしもこうだったら…というジャンル、魔法のランプ。
この映画は、死神が人間の体に入って人間界にやってきて、人間の女性スーザンと恋をする話です。
はじめ、スーザンには恋人がいたけれど、情熱的な恋ではない。
恋は情熱だとおじいちゃんにとかれるスーザン。
そこへ登場したジョー・ブラック。
彼は死期が近いおじいちゃんのもとにやってきた死神。
死神のお遊び的なひらめき「人間生活ってどんなもの?」というのが、この映画における魔法。
人間の青年の体に興味本位でのりうつった彼と、情熱的な恋に落ちてしまうスーザン。
おじいちゃんの言ってた情熱ってやつを知る。
死神的にも「これが人間の生活…イイ!」って状態に。
でも最後には魔法のランプのお約束で、魔法が切れ、元に戻らなければならない。
主人公は魔法の力で夢を見たけれど、魔法なしでやっていくことを学ばなければならない。
この映画で魔法なしでやることを学んだのは、多分スーザン。
だからこの映画の主人公はスーザン。
ブラッド・ピット全盛期の映画なだけに、死神が主人公みたいなサービスショットが多いけど^^;







◆12モンキーズ
ジャンル:難題に直面した凡人

我がいとしの、ブルース・ウィリスとブラッド・ピットが共演。
個人的にオイシイ映画。
この映画もダイ・ハード的な展開なので、難直凡だと思います。
何の落ち度もなかった囚人ジェームズ(ブルース・ウィリス)に、突如、遂行しなければならない任務が与えられる。
このジャンルでいう「落ち度もなかった」というのは、これから巻き込まれる事件に対してのことです。
囚人であるとか、そんなことは関係ありません。
その事件にはまったく関係ないはずなのに、なんで俺が!
どうして俺がこんなことに巻き込まれるんだ!
俺がなんか悪いことしたか!?
でも結局は対処しなきゃならなくなる。
凡人が世界を救うためにヒーロー的活躍をする。
そんなジャンルのことです。
ラストに関しては、本来なら、
対処しきって解決!
世界は平和になったのだった!!
がお約束結末のようですが、
この映画はイレギュラーなタイプだと思います。
切ないよね。







◆ファイト・クラブ
ジャンル:人生の岐路

これ、サイコな感じでどのジャンルか最初はまったくわかんなかったんですが、人生の岐路に落ち着いてみました。
初めはファイト・クラブがひとつのいかれた団体なので、「組織の中で」なのかなぁと思ったりもしてましたが。
たぶん、人生の岐路。
人生の岐路のなかには、依存症の岐路っていう小ジャンルがあります。
そこに該当するんじゃないでしょうか。
現状が受け入れられず、うつのような状態になる主人公。
それを脱却するには「受け入れる」以外の方法がない。
それがこの「人生の岐路」というジャンルの特徴らしいです。
やはりこの映画も、人岐路のお約束どおりに展開してる模様。
アメリカ的なサラリーマン社会で個性を失っていた主人公の僕(エドワード・ノートン)は、完全に「自分」を見失っている状態。
生きる気力とかゼロ。
大人しく、我慢し続けて、無害な僕。
この状態から破天荒なタイラー(ブラッド・ピット)に出会い、二人はファイト・クラブを結成する。
荒々しく野性的になぐり合うだけの、ファイト・クラブ。
「生きている」という感覚に酔いしれることができるファイト。
やっと見つけた、これが僕の求めていたものだ!
僕はこれが解決策のように思っていたが、それは間違った方法だった。
最終的には、タイラーという男が自分の作り上げた別人格であることを知る僕。
反社会的軍団にまで暴走し始めたファイトクラブを止めるべく、僕はタイラーという幻覚を葬り、「自分」というものを受け入れ、真の解決に至ることに。
受け入れることが結末。







◆世界最速のインディアン
ジャンル:おバカさんの勝利

アンソニー・ホプキンス主演の、おじいちゃん万歳映画。
なんかわかんないけど、アンソニーじいちゃんが好きなんですよ、私は。
で、この映画も初めはジャンルが解らなかった。
ロード・ムービーだから、金の羊毛なのかとも思った。
でもなんだか展開が違うんだよな…。
で、落ち着いたのが「おバカさんの勝利」ジャンル。
インディアンというのは、バイクの名前です。
そのバイクで世界最速の記録を出すため、ニュージーランドからはるばるアメリカまで渡り、大会に出るバート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)の話。
バート・マンローは実在したおじいちゃんです。
バートはおバカさんのお約束通り、冒頭ではみんなからバカにされています。
そんなバイクで世界最速なんて出せるわけないじゃん。
でも何を言われようとバートはどこ吹く風。
大会に出ることしか頭にない。
このジャンルは、主人公である「おバカさん」が周囲のみんなに何らかの影響を与えていくというジャンルです。
彼と接することで良い方向に変えられる人もいれば、負け犬のようにズダボロにされる人もいる。
でも「おバカさん」は何も変わらない。バカのまま。一直線。
で、最後にはおバカさんが勝つ。
このジャンルの代表作は、フォレスト・ガンプです。
バートじいちゃんも、旅先でいろんな人に出会います。かりそめの出会いです。
でもみんな、バートじいちゃんのおバカな熱意に感化され、彼を応援したくなってしまう。
この映画は負け犬になった人がいないかも。
みんな、バートとかかわることで良い方向に変化していく。
「この辺でそろそろ悪巧みするキャラ出てくるんじゃないの? じいちゃん、罠にはめられちゃうんじゃないの?」
そんな観客の予想もなんのその。
誰も悪者出てこないよ。
で、バートの一本気が実を結んで、幕!
じじいの熱意、とか、それだけでご飯何倍もおかわりしちゃう私です。


(潮)映画「チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /14 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。
断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます

***

ちょっと前にこの映画についての分類を書いたんですが、保存に失敗して見事に長文が消えまして。
かなり頑張って書いたからもう、その時は燃え尽きてしまいました。
今回は手短に書くぞ。
記憶を頼りに書いてるので内容重視。セリフはかなり適当です。

***




映画: チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル
ジャンル:組織の中で&人生の岐路

この映画はジャンルが1つに絞られていないと判断しました。
今回の話はディランのストーリーでもあるのですが、やはりメインキャラはナタリーということを強調したいのか、ナタリーメインの流れもありました。


1、ナタリー(キャメロン・ディアス)側ストーリー
ジャンル…組織の中で

敵役は元エンジェルのマディソン(デミ・ムーア)で、彼女は「個としての自分を殺したくない」がためにエンジェルとしては自分勝手な行動が多かったし、結局は辞めた人物です。当時も今でも、心を許せる仲間というものがいません。
彼女の主張は「エンジェルでいることは、個を殺されること」というもの。
確かにエンジェルの生活は、プライベートなんてあったもんじゃない生活です。
チャーリーに呼び出されたら、どこで何をしていても駆けつける。
チャーリーの命令は絶対。
マディソンは「自分で自分に命令を出したい」人でした。人に指図されたくない。チャーリーくそくらえ。
それに対しナタリーは、エンジェルでいることが大好き。
「エンジェルは家族で仲間。深い信頼関係があって、固い絆があって最高なの。誰も信じられる人がいないなんて、あなたってかわいそうな人ね」というのが、ナタリーの主張でした。
もしかするとマディソンの主張のほうが実は正常で、一般的なのかもしれない。
だってエンジェルの生活は普通じゃないし、やっぱりちょっとおかしい。いかれてる。組織のために完全に個が没すのだから。
個が没す。
けれどそれが絆という力になることがある。
というわけで、最後にはナタリーの勝ち。


2、ディラン(ドリュー・バリモア)側ストーリー
ジャンル…人生の岐路

「仲間との別れ」という、人生では避けて通ることのできないテーマを扱っているので、人生の岐路ジャンルだと思います。
ナタリーに恋人ができ、今にも結婚しそう。
結婚したらどうなるの? そりゃ彼女、エンジェル辞めるでしょ。
いやだ、辞めないでほしい、離れたくない、この三人でずっと一緒にエンジェルやっていたい。
というのがディランの気持ち。

そこへディランを恨む元カレ登場。
元カレはディランを殺そうとしており、ほかの二人も巻き添えにする気満々。
私がこのままエンジェルでいたら二人が危ない。私は身をくらまそう。
二人を守る意味でエンジェルを辞めるディラン。
ずっと一緒にやっていたかったのに、ナタリーの結婚を待たずして、自らその道を断つことに。

そこへ、元エンジェル(マディソンではない)が登場。
ディランの愚行をさとします。
あなたのやっていることは、二人を余計に危険にさらしているだけ。
あなたがいなきゃ二人は強くはなれないのよ。
負けてしまうわよ。と。

ディランは自分の過去を責めていました。
自分があんな男と付き合っていなければ…。自分があの男の殺しを警察にチクったりしなければ…。
こんなことにはならなかった…と。
しかし、あの男をチクったことこそが、彼女がエンジェルにスカウトされるきっかけだったのです。
エンジェルは作れないものなの。
探すしかない。見つけるしかない。出会うしかない。
その出会いは奇跡のようなものなのよ。
過去にチクったからこそ(恨みを買ったからこそ)、ナタリーたちに出会えた今があるのよ。
過去を否定しないで。
今を見つめて。

自分を責めることをやめたディラン、エンジェルとして復活。
三人で力を合わせ、敵も全部やっつけた。
…で最後に…、ナタリーの結婚問題。
失うことの恐怖よりも、今ともにいられることの喜びをすでに再確認したディランは。
ナタリーの結婚を受け入れようという気持ちになりました、とさ。
めでたし、めでたし。


***

ちなみにタイトルの「フルスロットル」は、ディラン側のストーリーに引っかけてつけられたもの、かな?
フルスロットルとは、エンジン全開って意味ではありますが。
もともとスロットルというのは、首を絞めるという意味で。
空気の通り道を絞って空気量を調整する、それがエンジンにおけるスロットルの役割。
フルスロットルという状態は、絞りが全開になり空気がマックスに入るので、エンジンがマックスで燃え上がるという状態のことらしいです。結果、スピードが出る。
この映画でスロットル(絞り)だったのは、やはり、ディランの「自責の念」だったのではないでしょうか。

いやー、彼女たちのチャーリーズ・エンジェル、1も2も好きです。
雰囲気とか、ノリがすごく好き。
いつかこういうの書きたいなー。

(潮)映画「セッション」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /01 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。
練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます


***




映画:セッション
ジャンル:組織の中で(組織の中の師)

やっぱりこのジャンルかなぁと思いました。
ストーリーとしては、音楽学校で音楽を教えている鬼教師とその生徒の話なんです。
鬼教師が人格破綻してんじゃないかってくらいに、生徒をしごきあげます。
その練習風景は軍隊さながら。
罵詈雑言、物も投げるし、皮膚がめくれて血が出るほど執拗な稽古を強いる。
その間も人格否定の言葉が飛ぶ飛ぶ。

そうじゃない! リズムがあってない! このド下手!(こんな優しい言葉じゃない)

この非情で厳しい稽古を負けるもんか精神で突破したものが、真のミュージシャンになるのだよ的なことを鬼教師は言う。
これにほとんど意地で食らいつくのが主人公なんだけど、その様子ははたから見てもヤバイ状態。
あなた洗脳されてるわ、もうやめて! あいつはただのドS教師なのよ!という状態。
事実、この教師のせいでうつ病になり死んだ卒業生がいる。

この映画ってたぶん、ざっくり言うと音楽バカの話なんです。
度を超えたプロフェッショナル精神というか。
音楽にだけ没頭して生きていくサガを持った人の話なんです。
人としての尊厳なんかより、音楽を極める。
いっちゃった人の話。
このいっちゃった人が鬼教師で。
彼こそが「いっちゃった世界の師」なんじゃないかなぁと。
で、「(音楽に対する姿勢が)おかしいのは俺(音楽バカ)なのか、お前(単なる音楽好き)なのか?」ということを描いてるんじゃないかと。

ネタバレすると…
主人公は最後、このいっちゃった世界の住人になったのではないかと思われます。

鬼教師のせいで挫折した彼は学校を退学し、音楽もやめます。
その後、例のうつ病で死んだ卒業生の関係者が現れ、鬼教師の稽古がうつ病を発症するほどヒドイものだったことを証言してほしいと頼まれます。
この証言のせいで鬼教師は音楽学校を解雇に。
解雇されたことで主人公を恨んでいた鬼教師は、偶然に再会した彼に対し、復讐を企てます。
誉めるような態度で、君が必要だ、一緒にコンサートしないかと持ちかけるのです。
自分が証言したことは鬼教師に知られていないはずでしたから、音楽での成功者になるという夢が捨てきれなかった主人公は、嬉しそうに参加することに。

このコンサートは、ここで失敗したミュージシャンは二度と誰からも声をかけられないような規模のもの。
ここで失敗はできないから、練習もたっぷりしてきた。
逆に言えば、ここでうまく演奏すれば成功者としての道が開ける。

しかし主人公はこの舞台上で復讐されてしまうのです。

演奏が始まる直前、鬼教師は「お前を殺す」と宣言。
事態が飲み込めない主人公ですが、とんでもないことが発覚。
ほかのメンバーと楽譜が違う!
鬼教師から、嘘の曲目を教えられていたのです。
当然、演奏できない主人公。
がんばって雰囲気で演奏するも、さんざん。
ものの一曲で、ミュージシャン生命が終わります。
してやったり鬼教師。

完全なる敗北に、主人公は二曲目が始まる前に舞台を去ります。
ミュージシャンとして成功する夢は完全に散りました。
そして舞台袖で家族に慰められ、お前は良くやった、ひどいのはあの教師だと抱きしめられた瞬間。
彼の中でなにかが変わる。

舞台にUターンした彼は、図太い神経でもって再び楽器の前へ。
鬼教師(指揮者なんです)の指示も聞かず、勝手に演奏開始。
殺したはずの主人公が何を思ったか生き返ってきたことに、ぎょっとする鬼教師。
主人公の奇行におののく他の演奏者だが、「俺はこの曲をやる! しっかりついてこい!」という態度に負け、一緒に演奏が始まる。

私が思うに、ですけど。
夢が完全に散った彼はもう、ただ音楽の人になったんだと思うんです。
厳しい稽古を突破したものだけが、真のミュージシャンになる。
どんなに蹴り落とされても、求められた技術を会得して、這い上がる。
これを地でいったんだと思うのです。

鬼教師の「復讐」なんかで今この場を立ち去ったら、「音楽の人」として終わる。
それは成功できないとかそういう現実面のチンケな問題じゃなく、「音楽バカ」としてのサガがなかったという宣言になる。
主人公が舞台に戻ったということは、成功とかどうでもよくなり、単なる「音楽バカ」が誕生した瞬間なんじゃないかと思うのです。

音楽で勝負しろ!という態度です。
で、ずっと鬼教師が求めてきた「完璧なる演奏」をしてみせる。
無の境地で、ただの「音楽バカ」として演奏してみせる。
音楽に全神経が集中しすぎて、意識も吹っ飛びそうになる主人公。

その演奏がすごすぎて、鬼教師も認めざるを得ない。
鬼教師の指揮に、的確に応える主人公の演奏。
これこそが本当の音楽だと、鬼教師も興奮し始める。
ずっと求めてきた「高み」を実現できる者がいたという喜び。
同じ境地で語り合える者が現れたという喜び。

二人は音楽で魂の喜びを語りあい、一切のセリフもなく、演奏が終わると同時に幕となる。
異常な二人を見せつけて幕。
いっちゃった世界で至福となった二人を見せつけて幕。

ここに真の音楽バカがもう一人誕生したのだった…

みたいな終わり方に、私には思えました。
なんだかすごく長くなったけれど、組織の中でというジャンルにあてはまるようが気がします。
こんな感じで。

【組織の中での条件】

1 「グループ」について語る(家族、組織、特殊な仕事など)
(この映画は音楽演奏者という特殊な仕事)

2 ストーリーは「選択」であり、「反逆児」または「観客と同立場である新参者的キャラ」がシステム側の人間と戦う
(この映画では新参者が主人公、システム側が鬼教師かな)

3 最後には「参加」「焼き倒し」「自殺」のうち、どれかの「犠牲」が払われ結末にいたる
(この映画では「いっちゃった世界への参加」かな)


本書では、このジャンルが扱う真の教訓は
「心の声に耳を傾けないことへの危険性」
だとあります。

そこだけしっくりきません。
危険といえば危険ですが、この映画の二人は心の声に耳を傾けていたんじゃないでしょうか?
魂の声というか、魂のサガってやつに従ったんじゃないでしょうか?
幸せだったんじゃないでしょうか?
そのへんは、見る人の判断かと思いますが…
私には危険なことというより、この人たちなりのハッピーエンドとして受け取りました。

どうも、本書の枠は狭いように感じます。
断定しすぎというか。
同じジャンルの中でも、違った描き方、違った教訓をもつものがあるように思います。
まぁ、この映画のジャンル分類を私が間違ったのかもしれませんけど…
それとも本書はあくまで基本、たまには応用みたいなものもあるということでしょうか。
本書の前提は「大衆受けする(売れる)」ための法則らしいから、セッションは「大衆受けしない」映画というくくり、なのかなぁ?
いや単純に、私がハッピーエンドと受け取ってることのほうがオカシイのかもしれない(--;

そういえば、先日の記事で、見たらきっと泣くとか言ってたけど泣けなかった。
頭の中がジャンル分類のことでいっぱいだったからかな。
物語に没入できなかったのかも。
でも面白い作品でした。

ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

ぐろわ姉妹
潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人

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