◆脚本術/その他 - さかえのよ

(潮)キャラの感情、読者の感情

雑感
07 /19 2017


この本に書いてあった。
キャラの感情と、読者の感情は別物だって。

喜劇のキャラが困っていたとしても、それを見て観客は笑う。
スリラーのキャラがのほほんとしてたとしても、彼に脅威が迫っていることを知っている観客はハラハラする。

言われてみれば、確かにほんとにそうだ。
そしてこうも書いてある。

感情は大事だということを理解していない脚本家は、キャラの感情に重点を置きすぎる。
キャラを泣かせれば、観客も泣くだろうと思ってしまう。

ははは!
私のことか!

よく、観客が主人公に感情移入できるように作るべきと言われてたりするけど、この本を読んでいると私はそれを勘違いしていたように思うんだ。
自分が映画を観ている時のことを振り返ってみると、別に主人公に感情移入はしていないから。
私が映画鑑賞中にしているのは、移入じゃなくて、理解、が近いかもしれない。
この主人公は、こう思って、こう思って、こうなったからこう変化したんだなー。
その流れが理解できた時、泣ける。
その変化を選んだ「心・決心」に泣ける。
いや泣けない時もあるけど、泣けるときもある。
そのへんは、変化のタイプが好みかどうかだろう。
登場人物が一滴も泣かないのに、こっちは号泣っていうこと、たくさんあったし。
あっちとこっちの感情は別物で当然なんだってこと、肌身で感じている今日この頃。

多分、私の勘違いはこういう事だ。

×「観客が主人公に感情移入できるように作るべき」
  ↓
〇「観客が感情を理解できる主人公に仕立てるべき」

上手く説明するのが面倒なんで省くけど、「主人公に感情移入できるように」という部分を、言葉のアヤでというか、アクセントの違いでというか、とにかく私が解釈を間違えた感がすごい。
自分的に分かりやすい言葉に置き換えると、「感情移入」じゃなくて、「感情理解」が妥当。
「移入してもらうことが大事なんじゃなくて、理解してもらうことが大事なんだろう」と、今のところ解釈している。

理解。
理解。
理解しやすい問題を抱えている主人公とか、理解しやすい変化の仕方をする主人公とか。
そういうことみたいだ。

まぁ何はともあれ、
キャラたちが泣きゃいいってもんじゃない!
ということを胸に刻んでおこう。

キャラの感情≠読者の感情

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(潮)勝手につけたビート名一覧

雑感
05 /02 2017
和訳のビート名で誤解しちゃった経緯から、いくつかのビート名を自分なりに変えて使っています。
一応それらを、この記事にまとめて表記しておこうと思います。
※「第1・第2ターニングポイント」についても変更しました。次回記事からはこの表記になります。
※また変更点あれば、この記事を変更していきます。

*****


【自分流ビート名】
1 OPイメージ
2 セットアップ
3 テーマの提示
4 きっかけ
5 きっかけに対する賛成と反対
6 第2幕への侵入・選択
7 Bストーリー
8 お楽しみ
9 ミッドポイント
10 迫りくる悪い奴ら
11 全部ダメになる
12 心の暗闇
13 第3幕への侵入・選択
14 フィナーレ
15 FINイメージ


【英語版ビート名】
1 Opening Image
2 Set-up
3 Theme Stated
4 Catalyst
5 Debate
6 Brake into Two (Choosing Act Two)
7 B-story
8 The Promise of the Premise
9 Midpoint
10 Bad Guys close in
11 All is Lost
12 Dark night of the Soul
13 Brake into Three (Choosing Act Three)
14 Finale
15 Final Image


【本書の和訳版ビート名】
1 オープニングイメージ
2 セットアップ
3 テーマの提示
4 きっかけ
5 悩みのとき
6 第1ターニングポイント
7 サブプロット
8 お楽しみ
9 ミッドポイント
10 迫りくる悪い奴ら
11 すべてを失って
12 心の暗闇
13 第2ターニングポイント
14 フィナーレ
15 ファイナルイメージ


(潮)「悩みの時」について

雑感
04 /11 2017
「悩みの時」というビートがあります。
昨日からズートピアのビート仕分けをしていて、ふいに思いました。
「すべてを失って」と同様、私はこれも日本語の語感に惑わされているのではと。

このビート、英語だと debate です。
ディベート。
議論。
ディベートとは、議論のためのテーマがあり、反対派と賛成派にわかれて、意見を述べ合うこと。です。

悩みの時……??
うん。
私はやはり、また語感に惑わされてたと思います。
主人公が悩んでいるところだけを、今まではチョイスしていました。
でも本来は、議論のシーン、丸ごとがこのビートのようです。

というわけで、また独自のビート名をつけちゃおうと思います。
今後このブログでは、「悩みのとき」というビートを、「きっかけに対する賛成と反対」に変更します。

ズートピアからは、議論のシーン丸ごとを、「きっかけに対する賛成と反対」として仕分けしていきます。
以前の記事は、修正できるようになったらするかと思います。
でも今のところはそのままです。
よろしくどうぞー。

♪(o・ω・)ノ))


(潮)「すべてを失って」について2

雑感
04 /07 2017
「すべてを失って」というビートがあります。
その日本語の語感から、私は誤解をしていたように思います。

「すべてを失って」というからには、「失って…どうなのか」「失ったあと…どうなったのか」というシーンなんだろうと思っていました。
でもふと気になって英語版を調べてみたら、「All is lost」となっていました。
直訳すると、「全部だめになる」「全部失う」ですよね。
つまり、「失うシーンそのもの」のことなんだと思います。
私が思っていた範囲とはちょっと違います。

この「All is lost」というビート名を知ったのは数日前。
でも、アナ雪のビート仕分けしているころには「すべてを失ってだと、なんか変なんだよなぁ」と思っていました。
なので自然発生的にですが、アナとヒックは「全部だめになる」シーンとして仕分けしています。

それより前のものは……自信ないな。

今確認したら、魔法使いの弟子も偶然ながら「全部だめになる」シーンで分けていました。
ミニミニ大作戦も、まぁ……まぁ、いっかな。大丈夫かな。
けどシュガーラッシュは、やっぱりちょっと違いますかね。

これらを直してる時間が今はないので、とりあえず、ここに書いておきました。
そして今後は、「すべてを失って」ではなく、独自ながら「全部だめになる」というビート名に変更したいと思います。
「すべてを失って」だと、どうしても自分の中でゴチャゴチャになってしまうので。


参考までに、各ビート名の英語版を載せておきます。
スペル間違ってたらゴメンちゃ。


1 Opening Image
2 Set-up
3 Theme Stated
4 Catalyst
5 Debate
6 Brake into Two (Choosing Act Two)

7 B-story
8 The Promise of the Premise
9 Midpoint

10 Bad Guys close in
11 All is Lost
12 Dark night of the Soul
13 Brake into Three (Choosing Act Three)

14 Finale
15 Final Image





















(潮)次に仕分けたい映画は

雑感
03 /25 2017
世間が春休みに入ったので、ペースダウン中です。
次に記事にしようと思って今見ている映画は、サウンドオブミュージック。
でも歌のところにくると何度も繰り返して楽しんじゃって、なかなか進んでいません。
*\(^o^)/*ドーはドーナツーのドウー!!

ほんでこないだズートピアが録画できたんで、そっちを近いうちに見てみようかなと思ってます。
見る前から予想すると、ジャンルは相棒愛かなーと。
公式ポスターとか、ツイッターでキャーキャー楽しんでた方々のイラストなんかからの予想ですが。
この映画の宣伝CMって見たことない気がします。
私が得た乏しい前情報では、

メスうさぎが警官で、オスのキツネ?コヨーテ?が詐欺師かなんか。
弱肉強食な関係の二人が、もめながらも事件を追いつつ、いちゃいちゃする話。

そんな映画だという印象でございます。
私が勝手にこうして持った印象は、相棒愛のお楽しみビートで繰り広げられるもので、観客が相棒愛ではそんなのが見たいなーと楽しみにしてくるシーンたちだそうです。

こういう印象(相棒愛だろう)を持って見始めたのに実際は謎解きに終始されたりすると、この映画はなぜやったのかジャンルだったのか!ということで、そこで期待を裏切られることになるんだろうなぁ。

裏切るならいい意味で裏切りたいぜよ。

(潮)日本式とはやはり違うようだ

雑感
03 /15 2017
今日も脚本術について書きますが、完全に私見です。個人の感想です。
もし脚本術を学んでいる方がこの記事にたどり着いてお読みになるとしたら、以下の内容はあまり本気で受け止めないでください。
これは個人の感想であり、間違っている可能性があります。
しかも save the cat の前提でしか、ものを言っていません。




save the cat にそって脚本術を独学してますが。
ハリウッド式を学ぶにつれ、日本式とはやはり別物なんだろうなということが、薄々分かり始めました。
例えばジャンル。
save the cat では10ジャンルに分類されています。

1 家の中のモンスター
2 金の羊毛
3 魔法のランプ
4 難題に直面した凡人
5 人生の岐路
6 相棒愛
7 なぜやったのか
8 おバカさんの勝利
9 組織の中で
10 スーパーヒーロー

ディズニーアニメ見てたりすると、だいたいは、どのジャンルの映画か判断できるようになりました。
けど。
じゃあ邦画を分類してみようか、ってなって。
「となりのトトロ」はどのジャンル?ってなっても。
判断できないのです(^^;

トトロは確かに映画だけど、内容的には絵本のような、昔話のような展開。
save the cat の言うような、10ジャンルには当てはまりません。
save the cat の言うような、ジャンルごとの定番展開にも当てはまりません。

もしトトロをハリウッド式で作り直すとしたら、ハリウッドの脚本家は苦心の末、恐らくは「魔法のランプ」というジャンルに分類して書き始めようとするでしょう。
トトロというのは、言わば「ランプの精」みたいな存在。
こんなことができたらいいな、を叶えてくれる存在。
そんなトトロと出会ったサツキとメイ。
このあたりが「魔法のランプ」に分類できると思うんです。
けど「魔法のランプ」になったらなったで、次のような条件に縛られてしまいます。


【魔法のランプの条件】

1:願い
 …主人公が求める願い、あるいは誰かから頼まれる願いであり、普通の状態から脱しなくてはならない必要性があるもの

2:魔力
 …主人公には「願い」を叶えるための「魔力」が与えられるが、それは「唯一の魔力」であり、2つ、3つと都合よくいろいろなものが与えられるわけではない

3:教訓
 …主人公は最終的に、与えられた「魔力」を使わずに生きるほうがいいと学ぶ


この条件、どれをとっても「となりのトトロ」じゃないですよね。
メイは「こうだったらいいのに」という「願い」があって、トトロという「魔力」を得たわけじゃないと思います。
単純に遊んでたら出会ったって感じです。

ギリギリ上記の条件に持っていけるとしたら、「入院中のお母さんに会いに行けたらいいのに」という「願い」をメイやサツキが持っていて、その願いを叶えてくれる「魔力(トトロ)」を第1幕で得る、っていう流れになるのかな、と。
ほんで、第2幕ではトトロの力を使い、自由自在にお母さんに会いに行くようになる。
でもなんらかの失敗があって、第3幕では「やっぱり自分の足で会いに行くのが、お母さんも一番喜ぶことだよね。魔法に頼っちゃいけないね。さよならトトロ」みたいな結論に達することになるんだと思うんです。

まぁ映画としてはアリかもしれないけど、こうなるともはや、トトロにあらずです。
トトロの名を借りた別物です。


*****


なんか、ハリウッドで実写化したドラゴンボールを思い出しますね。
どうして原作通りに作らないかなーって思うけど、ハリウッドにはハリウッドの黄金ルールがあるからそうしないんでしょう。
ハリウッド式の縛りがあるから、日本の漫画をハリウッドで実写化した場合、なんかもう違いが歴然としてしまって、受け入れてもらえない状態になるんじゃないかと推測します。

たとえばこの、実写版ドラゴンボールを例にとると。
実写版はきっと、「スーパーヒーロー」というジャンルでドラゴンボールを書いたんだと思うんです。
脚本家が、孫悟空はスーパーなヒーローだ、と判断したからでしょう。


【スーパーヒーローの条件】

1:特別なパワーがある
 …主人公を、選ばれし者、救済者、凡人以上の存在、などにするための特別なパワー。それが主人公に宿っている。

2:宿敵がいる
 …自分こそが選ばれし者だとして、主人公と対立する存在。主人公を倒そうとしてくる存在。

3:主人公には呪いがある
 …スーパーヒーローであることの代償として、なんらかの弱点がある。主人公はその弱点を克服するか屈服するしかなく、宿敵は弱点をついて攻撃してくる


これだけ見ると、このジャンルで「ドラゴンボール」が描けそうな気がします。
確かにうまくやったら、原作とは違ったとしてももっといいの書けたかもしれない。
ちなみにこの脚本家は、去年だかに「ファンの方々、ヒドイものを作ってごめんなさい。私は金にめがくらみました、熱意もないのに創作するのはよくありませんでした」と謝罪したそうなんですけど、もともとドラゴンボールに疎かったそうなんです。
完全に私の妄想ではありますが、こんな光景が目に浮かびまする。

1はクリア、悟空は凡人以上のパワーを持った存在だから。
2もなんとかクリアしちゃいましょう、ピラフじゃ迫力ないから、ピッコロが悟飯じいちゃんを殺したことにして、宿敵にすればいいんです。
3もなんとかクリアできますよ、大猿に変身して自分を制御できなくなるっていうのは十分な弱点じゃないですか、あ、ちょうどいいから原作から息子悟飯の高校生設定を拝借して、孫悟空を高校生にしちゃいましょうよ、そうすれば非凡な力を隠していじめられっ子として生活しているハンデとか盛り込めるし、いいじゃないですか。

でもさ、でもね!
悟空って、やっぱりスーパーヒーローじゃないんだすよ。
特に原作の序盤あたりは。

悟空とブルマが出会って、ドラゴンボールを探しに行く。
ヤムチャとかウーロンとかと出会ってドラゴンボールを集めて回る、途中で世界征服を企むピラフにドラゴンボールを奪われるけど、最終的にはウーロンのとっさの願いが叶い、ピラフの世界征服は夢に終わる。
実写版ドラゴンボールのストーリーは、この原作序盤ストーリーにそって、なおかつピラフをピッコロにしてアレンジされたものと思います。

しかし私個人の判断では、原作序盤のこのストーリーは、せめて「金の羊毛」ではないかと思います。
スーパーヒーローっていうジャンルは、とかく哀愁が必要なものらしいのですよ。
こんなに人々のために尽力しているのに、破滅から救っているのに、誰にも理解されない、本当の力をみんなに見せてはいけない、秘密の存在でなければならない、そんな哀愁。
そんな哀愁、なかったじゃないですか、原作序盤の孫悟空少年には。

あっけらかんと、ワイワイガヤガヤ。
旅を楽しんで、強い敵にオラわくわくすっぞーって。
ドラゴンボールのファンはきっと、そういうシーンを「おたのしみ」というビートで楽しみにしていたのだろうから、「スーパーヒーロー」ジャンルが持つ「哀愁」的なものは、必要なかったのかなーとか思います。
スーパーヒーローが背負っている苦渋みたいなものを背負っていないのが、孫悟空のカッコイイところでもあると、私個人は思ったりもしていました。

原作の後半とかは、スーパーヒーロージャンルでも行けるようなとこあったなぁとは思いますが、それでも悟空は、そんな時でも、ハリウッド式の示すスーパーヒーローとは何かが違う。
一般人に解ってもらえない、特別な者であるつらさ、とか持ってないもんね。
世界を救わなきゃならないという使命よりも、強い敵と戦いたいという欲求のほうが強かったりして。
強い敵にわくわくすっぞー。
うわーでもゴメン、この星守れないかも。
だって、この一発であの敵は倒せるかもしれないけど、一緒にこの星も壊れちゃうかもなんだ、ゴメン。みたいな。
そこがなんか、カッコイイとこかなーと。思ってたりしました。
悟空はヒーローじゃないんだよな、戦いが好きなだけのサルなんだよな。


*****


長期にわたり連載されていた漫画を引き合いに出しましたが。
そもそもが違うっていうのは理解できます。
長期連載の漫画で表現できるものと、二時間程度の映像で表現できるものは違うはずです。
長編を原作に映画化するのって、大変なんだと思います。
ある程度、別物になってしまうのは仕方ないかなと。

原作が長編でも別物にならないようにするためには、せめて連続ドラマがいいのかなと思うけど、こんなこともありました。

原作漫画に忠実に実写化した連ドラ作品を見たことがあるのですが、それはそれで頂けなかったのです。
セリフも展開も、漫画どおり。
カメラアングルなんかもかなり忠実だった。
キャラもみんな忠実で。
ほんとに漫画をそのまま映像化したものだったと思います。

なのに、見ていて辛かったのです。
なんだろうな、テンポかな?
テンポが「ぐわーー! しっくりこない!」って感じだったのかな。
原作通りなのになんで不満だったのかは、今でもよくわかりません。

漫画と映画、どっちも違ってどっちもいい。
になれば、それが一番いいのかなぁーなんて、今日は思いました。


(潮)映画「マグノリア」を見てみた

雑感
03 /01 2017
次の映画は何を記事にしようかなって考えている。
今日は「マグノリア」を見たんだけど、記事にするのは疲れそうだからやめようかなとか思っている。
敷居が高いっていうか。

マグノリアは群像劇で、ジャンルとしては「組織の中で」だと思う。
確か3時間くらいあるのな。
ほんで最後、空から唐突に大量のカエルが降ってくるんだよね。
公開当時、劇場で見たけれども、まだ若かったんで「ファッ!? カエル!?」ってなって帰ってきたことしか記憶になくて。
私にとって、理解不能な映画だった。
今回も、まとまった時間なかったんで2回に分けて、それも数週間空けて見たら、やっぱり「ファッ!?」ってなった。
数週間前に見た前半をほぼ忘れてたのも悪いけど。

ビート仕訳のために見るとは言っても、1回目は漠然と鑑賞することにしているから。
こういう映画だとやはり最後に「ファッ!?」ってなるよねー。
でも今ならわかるよ、ちゃんと最初から注意深く見て、いろいろ記憶しながら見続けていけば、理解できるはずの映画だということが。

突拍子もない偶然が今につながっているんだ、みんなをつないでいるんだ。
そんな感じのテーマをもった映画なんだと思う。
多分。
ビート仕訳しないから、ちゃんと「多分」って言っとく。

公開当時に見たときは、今までのストーリーに脈絡なくカエルが降ってきてエンドすることと、トム・クルーズが「イチモツをうやまえ!」って言いまくっていたことしか覚えておらんかったです。

どんだけぶりに鑑賞した今日は、トム・クルーズ演じる恋愛講師が、幼いころに父親から「イチモツ野郎」と罵られていたことを知りました。
そして傷ついていたことも。
病床の父のもとへやってきて「死んじまえ」って罵るんだけど、最終的には「死なないでくれ、父さぁん、うわぁぁん」ってなる、ということも今日知りました。
だって、カエルの衝撃のせいで、そのあとのシーンなんか上の空だったんですよ、当時は。

この映画は群像劇なんで、いろんなキャラが出てきて。
その全員がカエルが降ってきた時点からなんだか素直になるというか、行動が変わるというか、真実が解るというか、とにかく劇的変化に向かうんです。
割と酸いも甘いも味わってきた大人向けの映画だと思うので、そういう大人がちゃんと腰据えて見たら、結構面白いんじゃないかなって思います。
でもね、雰囲気はノワールっていうか、くらーい感じだよ。
みんなウジウジしてて、ひゃっほーこっちが滅入るぜーって感じです。
でも最後は一応みんなハッピーエンド、かな。







(潮)俳優にも脚本術は役立つ

雑感
02 /24 2017
脚本家には、もちろん勉強不可欠な脚本術だけど。
俳優にとっても勉強して損はないなと、最近思う。
どうして学生の時に教えてもらえなかったかな。
教えてほしかったな、って今さら思う。

俳優が脚本術を学んで、物語がどういう構成になっているのかを知れば、場面ごとにどんな演技をすればいいのかが自然と解ると思うんです。
脚本術を知らない俳優は、脚本を読んで、流れを見て、セリフを読んで、自分の演じる役がどう「感じているか」を読み取ろうとする。
その読み取り方がうまい人はいいけど、まだうまくない人は読み取り方を間違えて、脚本家や演出家が求めているのとはまったく違う演技になっちゃったりする。

間違った演技をした時に「そうじゃなくて、こうして」って言われて、そのつどそのように訂正できるいい意味での単細胞な俳優さんはそれでもいい。
けど、「そうじゃなくて、こうして」って言われる意味や意図が分からなくて、頭の中がとっちらかっちゃう俳優さんもいると思う。
そういうタイプの人を見てきたから、、一定数いると思う。
そういう、頭で考えて演技するタイプの人にとっては、とっても役に立つと思うな、脚本術。






(潮)「すべてを失って」について

雑感
02 /20 2017
ビートの中に「すべてを失って」というものがあります。
これは「ミッドポイント」というビートと対になるものだそうです。
で、2つパターンがあるそうな。

1:ミッドポイントで主人公が絶好調(見せかけの勝利)になる場合、すべてを失ってでは絶不調(見せかけの敗北)になる

2:ミッドポイントで主人公が絶不調(見せかけの敗北)になる場合、すべてを失ってでは絶好調(見せかけの勝利)になる

今まで見た映画は、どれもパターン1でした。
パターン2にはなかなかお目にかかれないんだけど、私が見たいと思う映画のチョイス癖みたいなもののせいでしょうか。

2のほうはどういう流れになるのか、ちょっと想像しきれない。
すべてを失ってで、絶好調になるだと??
一応、想像はしてみているんだけど、ほんとにこういう流れがパターン2なのかなぁ?
とか、確信が持てていません。
いつかお目にかかりたいものです。

***

さて。
現在、ビート仕訳しているのは「アナと雪の女王」です。
今回は、ちゃんと記事を書き終えてからUPするつもりです。
というのも、前回の「魔法使いの弟子」同様、またしても主人公が2人だと思い込んでつまずきそうになったから。
危ない危ない^^;
途中で「やっぱこれも主人公は一人だった!」ってなって、書き直してます。

っていうか、そもそも主人公が2人ってありえないんだと思うんだ。
話の中で重要な役割の人が2人いたとしても、必ずどっちか目線で物語は進むし、落ち着くものだと思うんだ。
そうでないと、とっちらかるもんな。
いい加減、気づけ私。


いや、でも、私が知らないだけで、2人それぞれの目線で話が進むという意欲的な作品はあるのかもしれない。
わからん。
わからんけど、今は目の前のことをやるだけだぜ。



*****

【追記 2017/2/21】
本書をちょろっと読み返したら、こんな内容の文章があった。

「どんな映画でも、それがたとえアンサンブル作品であっても、必ず主人公は存在する。
映画はすべて主人公についてのストーリーだから、観客が注目したり、共感したり、応援したくなる主人公、しかも映画のテーマを観客に伝える主人公が一人か二人は必要なのである」

主人公が二人いることもあるんだね。
\(^o^)/
まったく俺はよ、ちゃんと読めよ、教科書をよ。






(潮)ビートが見つけられない映画もある

雑感
01 /28 2017
とりあえず二本、映画のビート仕分けをしてみたわけだけど。
どうしても長くなりますなぁ。
できれば1記事に収めたいんだけど。
無理かなぁ。
ビート仕分け記事書くのにこんなに時間使ってていいのか?
っていう焦りが少しあるです。
もっと次々映画見たい。
でも次々見れない事情もある。
…まぁいいか、記事書く時間は、自分の中に落とし込む時間と考えよう。

***

何本か映画見てみて、なかには、ビートが変な映画もありました。
あのビートがないとか、順序良く進んでたのにまたこのビートに戻ってるとか。
そういうのは記事にはしないつもりです。
ビートが変って言っても、別に save the cat がすべてじゃないんだから、間違ってるとか言いたいわけじゃないです。
でも、違いはやっぱりありました。
不思議なことに、ビート通りに進んでいた映画のほうが、鑑賞後にスッキリ感があるのです。
ビート通りじゃなかった映画のほうは、なんだかなぁって思うことが多くて。
好きな人は好きだろうね、っていう感じです。
話として理解はできるけど、私は楽しくはなかったかなぁっていう。
感動するはずのストーリーでさえ、私にとってはそういう印象になりました。

けど、前回のミニミニ大作戦とか、次回書くつもりのダイハードとか、感動して泣くってほどの映画でもないのに、鑑賞後はスッキリスッキリ。
あー、映画見たなー、っていう満足感がありまして。
見ている間も飽きずにいられました。

まぁでもこれは、好き好きなんだろうな、ホントに。
あくまでもハリウッド式だし。
お国違えばビートも違うでしょうし。
私がハリウッド方式が好きなだけってことでしょう。

とかなんとか言いながら、私の書いた小説にはこのビートはまだないわけで。
「好きな人は好きだろうね」の領域なわけです。
わら。







ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

ぐろわ姉妹
潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人

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