2013年09月17日 - さかえのよ

(潮)最初から迷路だった

「葛飾、最後のピース」日記
09 /17 2013
本編を妹に読んでもらって、二人が同じように認識する問題点が浮き彫りになって。
その問題点のせいで話がまとまらないのだと、やっとわかって。(やっと認めて、が正しいかも)
話をまとめるための案が出て、その通りに進んでみると。
解ってはいたけど、要らなくなる設定が出てきた。

その設定はもともと、かなりの初期段階で話をまとめようとして後付した設定で。
ここへきてまとめるためにはそれが「要らない」という皮肉。
何周もして、やっと、数年前の初期案に戻ってきたような心もち。
というより、事実そうだと思う。

どうしても付けたかった装飾品設定があって、それはお題でもあったからどうしてもどこかにはつけなきゃならなくて。
でもどうせつけるならと、ゴテゴテにつけすぎたのかなと思う。
装飾品のための展開になってた。
自覚はしてたけど。
やっぱそれが、足枷になってたんだなぁと思う。
装飾品をつける前に、ちゃんとした土台があればまた違ったんだろうけど。
急ぎすぎた結果、いつのまにか目的をはき違えた感じ。

その装飾品を外すことを前提に練り直してみると。
すごくシンプルになってきた。
このシンプルさのまま、原型プロットを最後まで作れたら。
きっとちゃんとまとまる気がします。

こんなにも時間かけて遠回りして、なんでこんな自分はバカなんだろうって、以前なら思ってた気がする。
向いてないとか、才能ないとか。
でも最近は、なんか違う。
それぞれの作品には完成すべき時期があって、こういう遠回りはそのための時間調整なんじゃないかなって、思えるようになってきた。
もちろん時間調整だけじゃなくて、自分の精神的スキルアップの時間でもあると思うし。

以前から、似たようなことを思うようにはしてきた。
でも「してきた」なんだ。
頑張ってそう思ってた。そう思えば、自分を責める気持ちを慰められるような気がして。
理想を語ってただけ。そうだったらいいなって。

今は、理想とかなじゃくて、けっこう本気でそう思ってきてると思う。
なんか色んなこと、楽になってきてる。
自分を責めるの、もう飽きたんだと思う。
人を責めるのも。

自分を責める割合と、人を責める割合って、同等なんだろうなやっぱし。
責める。
なんでこんなつまんないことに、人類は時間を費やしてきたんだろう。
つまんなくなかったんだろうな、きっと。

まぁ、とにもかくにも。
向いてなかろうが才能なかろうが、やりたいことはやればいいんだなって思う。
自分を責めると、やりたかったことでもやりたくなくなるから、何が本当にやりたいことなのか解らなくなるけど。
責めさえしなければ、才能や適性なんてものになんの疑問も持たず、やりたいことを自然とやり続けるのが人間なんだと思う。
疑問がないって最強。

ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

ぐろわ姉妹
潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人