2016年03月 - さかえのよ

スマホ版の中止

◆お知らせ・ご挨拶
03 /31 2016
葛飾、最後のピース(小説家になろう)の連載を中止しました。

小説家になろうにて、改行多めバージョン(スマホ版)を投稿していましたが、昨日でその投稿を中止しました。
スマホ版部分の投稿もすべて削除し、通常版のみで完結状態になっております。

理由は、そういう投稿の仕方が利用規約に違反していると思われたからです。
同じ内容のものをいくつもUPしてはいけないそうなのです。
これは、誰に注意されたわけでもなく、たまたま自分が出会った情報で知ったことです。
違反だったかどうかの判断は、自己判断のみです。
いきさつは小説家になろうの活動報告に詳しく書きました。

そのようなわけですので、もしスマホ版で読んでいた方がいらっしゃいましたら、中途半端になってしまい申し訳ありませんでした。
もしよかったら、続きも読んで頂ければ嬉しいです。
以後気を付けます。
(つД`)ノ


【今回の自分メモ】
投稿サイトでの重複投稿は注意。
なろうだけでなく他のサイトでもそうかもしれないから、ほかのユーザーがやってないことをやる時は、よく注意すること。

(潮)映画「サイモン・バーチ」を分類

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /30 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます。

***




◆サイモン・バーチ
ジャンル:金の羊毛

幾つかのジャンルで迷ったんですが、消去法で「金の羊毛」に落ち着きました。
毎度のことながら、メモ的に書いているので支離滅裂ご勘弁を。

この映画の扱っているテーマは、「神の計画というものが、あるのか、ないのか」です。
主人公は少年ジョー。神の計画なんか信じていません。いわゆる現実主義。
その親友がサイモン・バーチ。なんとか症っていう、大人になっても小人のような小さい体を持つ人です。(ごめんなさい、病名忘れました。急いでるので調べないで続けます)
サイモンは、医者から「長くは持たない」と言われた自分が12歳まで生き延びたことや、そもそもこんな体で生まれたことにも、何らかの意味があると考えています。きっと神様が、何かの時のためにそう作ったのだと。神には計画があると。この体で生まれた意味、使命、それがきっとあると確信しています。

「金の羊毛」ですから、主人公が何かを探して旅に出るわけですが。
その探し物は「本当の父親」になります。

主人公ジョー(12)には美しい母がいます。
母は結婚しておらず、ジョーの父が誰なのかを彼女は誰にも言いませんでした。
大人になったら教えてあげると言われて育つジョー。
でもある時、事故で母は死んでしまいます。誰が父親なのか解らないままです。

ジョーとサイモンは、ジョーの本当の父親捜しを始めます。
最終的に父親は見つかります。
けれど「金の羊毛」のお約束通り、「探していた宝が見つかるが、見つかってみるとそれはどうでもよく、実は旅の途中でもっといいものが手に入っていた」という状態になっています。

ところで、「感動」の種類には2種類あると読んだことがあります。
1つは、主人公が成長することによる感動。
2つめは、メタファーに気づいたことによる感動。
この映画はすごくメタファーの効いてる感動的な作品でした。
どんなメタファーだったのかを少し書きますが、これを書くことで自ら気づくという感動を奪ってしまうと思うので、この映画を楽しみにしていた人は見てはいけません!
(><)ゴメン…!!
映画見てからもっかい来て!!

あと、これはキリスト教を土台にしたメタファーなので、ただの日本人である私には誤解もあるでしょうし、気づききれない詳細なメタファーもあるはずです。
キリスト教に詳しい方からしたら、私の説明にはモヤっとしたものが残るかもしれませんが、そのへんはご勘弁ください。
この映画はキリスト教に詳しい方のほうがより楽しめる、理解が深まる作品だと思います。




















●「父」に関するメタファー
この映画、信仰心を扱うだけに、教会通いや、教会関連のイベントがほとんどの場面です。
私はあまり詳しくないのですが、キリスト教の方々は神様のことを「ファザー(父)」と呼んだりしますよね。
この映画は先ほども言ったけど、「父親捜し」の旅です。

サイモンの両親は健在なものの、病気のサイモンを生まれた頃から大事にしていません。無視して、ほったらかし。
DNA的な父はいるが、彼に見捨てられているサイモン。
でもサイモンは、「本当のファザー(神)」を絶大に信じています。

一方、ジョーには「本当のファザー(DNA的な父)」がいない。そして信仰心もない。
終盤で見つかるジョーのDNA的父親は、いつも行く教会の神父さま。神父のことも「ファザー」と言ったりするそうで。
ジョーは、自分の左利きはきっと父親譲りだと思っていました。そしてそれは当たりました。
でも「信仰心のなさ」も似ていました。

サイモンのほうも「本当の父(神)」によく似ていました。
それは信仰心の強さや、彼が「父の子(キリスト)」のような振る舞い、考え方をするところに現れていたと思います。
このあたりが「父」に関するメタファー。


●子(キリスト)に関するメタファー
サイモンは「父の子」でした。つまりキリストのようなものでした。
この映画ではテーマとして「われわれ、誰もが父の子だ」と言いたいのでしょうが、とりあえず映画の中では、サイモン以外、自分自身のことをそう評価している人間はいませんでした。
クリスマスがやってきて、キリスト誕生の劇をやることになり。
サイモンは体が小さいので赤ちゃん役、つまりキリストに選ばれます。
本人は嫌がっていたけど、シナリオ的には適役ですよね。どはまり役。
あと、キリストと同じように、常識人が耳をふさぎたくなるような「正論」を堂々と言い張るところなどもありました。
権威者から煙たがられている感じも、理解されなかったキリスト風。


●母(マリア)に関するメタファー
メタファーとしてキリストであるサイモンは、ジョーの母親にとてもなついていました。
ジョーの母は、実の両親に見捨てられているサイモンをいつも温かく出迎え、いつも優しく気にかけ、彼の体が小さいことも蔑視してはいませんでした。
彼女はこの映画において、聖母マリアの象徴と思われます。
サイモンが、彼女の「おっぱい」をとても魅力的だと発言するシーンがあります。それは年頃の少年らしさとして表現されていましたが、メタファーとしては「マリアの赤ちゃんであるキリストらしさ」なのだと思います。
また、サイモンが好意を寄せている女子生徒にもマリアのメタファーが。
この女子生徒のほうもサイモンに好意を寄せており、サイモンはこの女子生徒の「おっぱい」も気に入っています。
そしてクリスマスの劇で、彼女はいやいやながらも「マリア役」に指名されるのです。
んでもって映画のラストでは、この女子生徒が「あなたこそ英雄よ」というようなことを言って、死にゆくサイモンの頬にキスをします。
母からのご褒美のように見えました。


●なんのメタファーか判断できなかったもの
もしかするとメタファーかなって思うのが幾つか。

1つめ。
ジョーの母は、サイモンの打った野球ボールが頭にあたり、ぽっくり死んでしまいます。
「キリストのせいでマリアが死ぬ」みたいなことがキリスト教にあるのだとしたら、それのメタファーかも?と思いました。
もしそういうエピソードがないのだとしたら、キリスト(サイモン)の「神の計画」が発動するために、マリア(ジョーの母)がわが身を差し出す。というような、深き愛情的なことかも?と思いました。

2つめ。
ジョーの母親が連れてきた新しい恋人、ベン。
彼が最終的にはジョーと養子縁組をして父親になる人なんですが、「演劇科の先生」なんですよね。
クリスマスの劇もあることだし、彼がなにかのメタファーっぽいんだけど、気づくことができませんでした。

3つめ。
物語中に「鹿」が何度か現れます。
この鹿がきっかけで、サイモンが使命を果たすことになります。
「使者」的な位置づけなのですが、なぜに「鹿」だったのかと。
日本では鹿は「神様の使い」といった話がありますよね。
外国にもなんかいわれがあるのかなー?なんて思いました。
…と、この辺で適当に検索した結果。
キリスト教と鹿には、関連があるそうです。




この映画みたいに、無駄のないメタファーで作品を作れたら…!
としみじみ思いますなー。
泣きましたわ。

なんだろうね。
主人公はジョーなんだよ。
でも心に残るのはサイモンなんだよ。




(潮)拍手お礼

◆お知らせ・ご挨拶
03 /23 2016
2016/3/22, Tue 22:37
に拍手下さった方、ありがとうございました!
実は設置以来、初めて頂く拍手です!

う・れ・し・い・よー!
ワーイワイ!
♪(/・ω・)/ ♪姉
♪(/・ω・)/ ♪妹


(潮)最近見た映画を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /14 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます

***

他にもたくさん映画を見たので、ざっと分類を載せておきます。
今度こそ手短に。
実はチャーリーズ・エンジェルの記事も、あれだけで一枚の記事にする気じゃなかった…
(--;






◆ブラック・スワン
ジャンル:組織の中で

ナタリー・ポートマン主演のバレエ業界映画。
セッションに通ずる内容で、またもいかれた芸術関連世界のお話。
白鳥の湖において、白鳥と黒鳥を演じ分けなければならない主人公。
白鳥は見事、清楚でおとなしいという自分の普段通りのキャラで演じきれる。はまり役。
でも黒鳥はまったくダメ。
もっとワイルドに、もっとセクシーに、もっと情熱的に!!
もっと自分をさらけ出せ! 己を壊せ!
お前の敵はお前自身だ!
セッションと同じく、周囲の圧力に負け、ほぼうつ状態になる主人公。
幻覚も見え隠れ。mon
けど最後には、あっちの世界へいってしまう。
いかれた状態を貫いて、いかれた世界の住人に。
本人だけがハッピーエンド。
魂だけがハッピーエンド。
体はズダボロ。ザッツ・いかれた世界。







◆モンスターズ・インク
ジャンル:難題に直面した凡人

だぶんこのジャンルであってるんじゃないかと思うんですが…。
このジャンルの代表作は、ダイ・ハードだそうです。
そう思うとほら、もう、この映画がダイ・ハードにしか見えない。
サリーがブルース・ウィリスにしか見えない。
何の落ち度もなかったサリーが、人間の子供がモンスターの世界にやってくるというとんでもない事態に巻き込まれ、とにかく対処し解決しなければならないという話。
モンスター界にとっての人間の子供は、地球にとっての隕石と同じようなモノ。
それが来たら、俺たちは滅亡だ。
これは生と死をかけた戦いです。モンスターズ・インクという会社だけではなく、モンスター界の滅亡がかかっています。
まさに難直凡。







◆モンスターズ・ユニバーシティ (モンスターズ・インク2)
ジャンル:金の羊毛

金の羊毛の中でも、相棒羊毛ってやつだと思います。
主に友情を描く系だそうです。
主人公たちは明確なお宝を目指して旅に出る。
この映画の場合は、
お宝=怖がらせ屋学部への復帰
旅=怖がらせ大会で優勝するまでの道のり
このジャンルでは、当初目指していたお宝よりももっといいものを見つけるというのが、お約束らしい。
この映画の場合は「友情」がそれにあたるみたい。







◆ヒックとドラゴン2
ジャンル:スーパーヒーロー?

1を見ていないからなのか、ちょっと解りにくかったような気がします。
これ、スーパーヒーローでいいのかな?
初めは人生の岐路かなぁとも思ったんですが、「ライオン・キング」とちょっと似ているような気がして。
ライオン・キングはスーパーヒーロージャンルだそうです。
特別な力を持っている主人公が理解されず、いったんは追放されるけど、戻り咲いて一転リーダーに。
この辺の流れが似ているような。
でもなんか釈然としなかったのは、なんだろう。
主人公であるヒックが特別な力をすでに理解されてるから、だったのかな…。
それとも数回に切り分けて見てしまったからか?
うーん、なんかモヤモヤする。
この話は1を見た方がいいかもしれない。







◆ベイマックス
ジャンル:人生の岐路

これはもう、人生の岐路で間違いないはず。
大切な人の死という、人生では避けて通れないテーマ。
敵役にもヒロのそれと通じる、行動理由があって。
二人とも間違った方法で、死の喪失感を埋めようとしている。
この二人は光と影、裏と表。
そんなような一対感が、この話にまとまりを持たせていたなぁと思う。
死は、受け入れるしかない。
受け入れて、生きる。







◆エイプリル・フールズ
ジャンル:なぜやったのか

これは、戸田恵梨香さん主演の邦画。
初めは何のジャンルが判断できなかったんですが、「なぜやったのか」に落ち着きました。
なぜやったのか、はミステリー系のジャンル。
基本的に主人公は探偵ポジションで、起きてしまった事件の真相を暴いていくのがストーリーの展開。
事件を起こした犯人の考え、理由、そういったものを暴いていくジャンル。
ただひたすら、証拠となるものをめくっていくものだそうです。
それが犯罪でなくても、こういう展開のものは「なぜやったのか」ジャンルになります。
この映画における探偵ポジションは、ユースケ・サンタマリアさん演じるレストランのホール係ではないかと思います。
映画としては群像劇なんですが、彼だけは彼自身のエピソードがなにもありませんでした。
観客と同じ目線の人物ともいえる、まさに探偵ポジションかと。







◆スプラッシュ
ジャンル:相棒愛

トム・ハンクス主演のラブストーリー。
お相手は人魚。
まったく違う世界の者同士が惹かれあい、結ばれたと思ったら引き裂かれ。
最後には別れが…でも君なしじゃ生きていけない、一緒に行こう!
そんなストーリーでした。
二人でひとつの完全体になる。
君なしじゃダメだ!
そんな内容のストーリーなら、異性間でも同性間でもはたまた異種間でも、それが友情でも愛情でも、相棒愛というジャンルになります。
要は切っても切れない赤い糸です。







◆ジョー・ブラックをよろしく
ジャンル:魔法のランプ

ブラッド・ピット出演の映画がしこたま放送してたので、連続で書きます。
もしもこうだったら…というジャンル、魔法のランプ。
この映画は、死神が人間の体に入って人間界にやってきて、人間の女性スーザンと恋をする話です。
はじめ、スーザンには恋人がいたけれど、情熱的な恋ではない。
恋は情熱だとおじいちゃんにとかれるスーザン。
そこへ登場したジョー・ブラック。
彼は死期が近いおじいちゃんのもとにやってきた死神。
死神のお遊び的なひらめき「人間生活ってどんなもの?」というのが、この映画における魔法。
人間の青年の体に興味本位でのりうつった彼と、情熱的な恋に落ちてしまうスーザン。
おじいちゃんの言ってた情熱ってやつを知る。
死神的にも「これが人間の生活…イイ!」って状態に。
でも最後には魔法のランプのお約束で、魔法が切れ、元に戻らなければならない。
主人公は魔法の力で夢を見たけれど、魔法なしでやっていくことを学ばなければならない。
この映画で魔法なしでやることを学んだのは、多分スーザン。
だからこの映画の主人公はスーザン。
ブラッド・ピット全盛期の映画なだけに、死神が主人公みたいなサービスショットが多いけど^^;







◆12モンキーズ
ジャンル:難題に直面した凡人

我がいとしの、ブルース・ウィリスとブラッド・ピットが共演。
個人的にオイシイ映画。
この映画もダイ・ハード的な展開なので、難直凡だと思います。
何の落ち度もなかった囚人ジェームズ(ブルース・ウィリス)に、突如、遂行しなければならない任務が与えられる。
このジャンルでいう「落ち度もなかった」というのは、これから巻き込まれる事件に対してのことです。
囚人であるとか、そんなことは関係ありません。
その事件にはまったく関係ないはずなのに、なんで俺が!
どうして俺がこんなことに巻き込まれるんだ!
俺がなんか悪いことしたか!?
でも結局は対処しなきゃならなくなる。
凡人が世界を救うためにヒーロー的活躍をする。
そんなジャンルのことです。
ラストに関しては、本来なら、
対処しきって解決!
世界は平和になったのだった!!
がお約束結末のようですが、
この映画はイレギュラーなタイプだと思います。
切ないよね。







◆ファイト・クラブ
ジャンル:人生の岐路

これ、サイコな感じでどのジャンルか最初はまったくわかんなかったんですが、人生の岐路に落ち着いてみました。
初めはファイト・クラブがひとつのいかれた団体なので、「組織の中で」なのかなぁと思ったりもしてましたが。
たぶん、人生の岐路。
人生の岐路のなかには、依存症の岐路っていう小ジャンルがあります。
そこに該当するんじゃないでしょうか。
現状が受け入れられず、うつのような状態になる主人公。
それを脱却するには「受け入れる」以外の方法がない。
それがこの「人生の岐路」というジャンルの特徴らしいです。
やはりこの映画も、人岐路のお約束どおりに展開してる模様。
アメリカ的なサラリーマン社会で個性を失っていた主人公の僕(エドワード・ノートン)は、完全に「自分」を見失っている状態。
生きる気力とかゼロ。
大人しく、我慢し続けて、無害な僕。
この状態から破天荒なタイラー(ブラッド・ピット)に出会い、二人はファイト・クラブを結成する。
荒々しく野性的になぐり合うだけの、ファイト・クラブ。
「生きている」という感覚に酔いしれることができるファイト。
やっと見つけた、これが僕の求めていたものだ!
僕はこれが解決策のように思っていたが、それは間違った方法だった。
最終的には、タイラーという男が自分の作り上げた別人格であることを知る僕。
反社会的軍団にまで暴走し始めたファイトクラブを止めるべく、僕はタイラーという幻覚を葬り、「自分」というものを受け入れ、真の解決に至ることに。
受け入れることが結末。







◆世界最速のインディアン
ジャンル:おバカさんの勝利

アンソニー・ホプキンス主演の、おじいちゃん万歳映画。
なんかわかんないけど、アンソニーじいちゃんが好きなんですよ、私は。
で、この映画も初めはジャンルが解らなかった。
ロード・ムービーだから、金の羊毛なのかとも思った。
でもなんだか展開が違うんだよな…。
で、落ち着いたのが「おバカさんの勝利」ジャンル。
インディアンというのは、バイクの名前です。
そのバイクで世界最速の記録を出すため、ニュージーランドからはるばるアメリカまで渡り、大会に出るバート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)の話。
バート・マンローは実在したおじいちゃんです。
バートはおバカさんのお約束通り、冒頭ではみんなからバカにされています。
そんなバイクで世界最速なんて出せるわけないじゃん。
でも何を言われようとバートはどこ吹く風。
大会に出ることしか頭にない。
このジャンルは、主人公である「おバカさん」が周囲のみんなに何らかの影響を与えていくというジャンルです。
彼と接することで良い方向に変えられる人もいれば、負け犬のようにズダボロにされる人もいる。
でも「おバカさん」は何も変わらない。バカのまま。一直線。
で、最後にはおバカさんが勝つ。
このジャンルの代表作は、フォレスト・ガンプです。
バートじいちゃんも、旅先でいろんな人に出会います。かりそめの出会いです。
でもみんな、バートじいちゃんのおバカな熱意に感化され、彼を応援したくなってしまう。
この映画は負け犬になった人がいないかも。
みんな、バートとかかわることで良い方向に変化していく。
「この辺でそろそろ悪巧みするキャラ出てくるんじゃないの? じいちゃん、罠にはめられちゃうんじゃないの?」
そんな観客の予想もなんのその。
誰も悪者出てこないよ。
で、バートの一本気が実を結んで、幕!
じじいの熱意、とか、それだけでご飯何倍もおかわりしちゃう私です。


(潮)映画「チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /14 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。
断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます

***

ちょっと前にこの映画についての分類を書いたんですが、保存に失敗して見事に長文が消えまして。
かなり頑張って書いたからもう、その時は燃え尽きてしまいました。
今回は手短に書くぞ。
記憶を頼りに書いてるので内容重視。セリフはかなり適当です。

***




映画: チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル
ジャンル:組織の中で&人生の岐路

この映画はジャンルが1つに絞られていないと判断しました。
今回の話はディランのストーリーでもあるのですが、やはりメインキャラはナタリーということを強調したいのか、ナタリーメインの流れもありました。


1、ナタリー(キャメロン・ディアス)側ストーリー
ジャンル…組織の中で

敵役は元エンジェルのマディソン(デミ・ムーア)で、彼女は「個としての自分を殺したくない」がためにエンジェルとしては自分勝手な行動が多かったし、結局は辞めた人物です。当時も今でも、心を許せる仲間というものがいません。
彼女の主張は「エンジェルでいることは、個を殺されること」というもの。
確かにエンジェルの生活は、プライベートなんてあったもんじゃない生活です。
チャーリーに呼び出されたら、どこで何をしていても駆けつける。
チャーリーの命令は絶対。
マディソンは「自分で自分に命令を出したい」人でした。人に指図されたくない。チャーリーくそくらえ。
それに対しナタリーは、エンジェルでいることが大好き。
「エンジェルは家族で仲間。深い信頼関係があって、固い絆があって最高なの。誰も信じられる人がいないなんて、あなたってかわいそうな人ね」というのが、ナタリーの主張でした。
もしかするとマディソンの主張のほうが実は正常で、一般的なのかもしれない。
だってエンジェルの生活は普通じゃないし、やっぱりちょっとおかしい。いかれてる。組織のために完全に個が没すのだから。
個が没す。
けれどそれが絆という力になることがある。
というわけで、最後にはナタリーの勝ち。


2、ディラン(ドリュー・バリモア)側ストーリー
ジャンル…人生の岐路

「仲間との別れ」という、人生では避けて通ることのできないテーマを扱っているので、人生の岐路ジャンルだと思います。
ナタリーに恋人ができ、今にも結婚しそう。
結婚したらどうなるの? そりゃ彼女、エンジェル辞めるでしょ。
いやだ、辞めないでほしい、離れたくない、この三人でずっと一緒にエンジェルやっていたい。
というのがディランの気持ち。

そこへディランを恨む元カレ登場。
元カレはディランを殺そうとしており、ほかの二人も巻き添えにする気満々。
私がこのままエンジェルでいたら二人が危ない。私は身をくらまそう。
二人を守る意味でエンジェルを辞めるディラン。
ずっと一緒にやっていたかったのに、ナタリーの結婚を待たずして、自らその道を断つことに。

そこへ、元エンジェル(マディソンではない)が登場。
ディランの愚行をさとします。
あなたのやっていることは、二人を余計に危険にさらしているだけ。
あなたがいなきゃ二人は強くはなれないのよ。
負けてしまうわよ。と。

ディランは自分の過去を責めていました。
自分があんな男と付き合っていなければ…。自分があの男の殺しを警察にチクったりしなければ…。
こんなことにはならなかった…と。
しかし、あの男をチクったことこそが、彼女がエンジェルにスカウトされるきっかけだったのです。
エンジェルは作れないものなの。
探すしかない。見つけるしかない。出会うしかない。
その出会いは奇跡のようなものなのよ。
過去にチクったからこそ(恨みを買ったからこそ)、ナタリーたちに出会えた今があるのよ。
過去を否定しないで。
今を見つめて。

自分を責めることをやめたディラン、エンジェルとして復活。
三人で力を合わせ、敵も全部やっつけた。
…で最後に…、ナタリーの結婚問題。
失うことの恐怖よりも、今ともにいられることの喜びをすでに再確認したディランは。
ナタリーの結婚を受け入れようという気持ちになりました、とさ。
めでたし、めでたし。


***

ちなみにタイトルの「フルスロットル」は、ディラン側のストーリーに引っかけてつけられたもの、かな?
フルスロットルとは、エンジン全開って意味ではありますが。
もともとスロットルというのは、首を絞めるという意味で。
空気の通り道を絞って空気量を調整する、それがエンジンにおけるスロットルの役割。
フルスロットルという状態は、絞りが全開になり空気がマックスに入るので、エンジンがマックスで燃え上がるという状態のことらしいです。結果、スピードが出る。
この映画でスロットル(絞り)だったのは、やはり、ディランの「自責の念」だったのではないでしょうか。

いやー、彼女たちのチャーリーズ・エンジェル、1も2も好きです。
雰囲気とか、ノリがすごく好き。
いつかこういうの書きたいなー。

(潮)大ポカ見っけ!

「葛飾、最後のピース」更新
03 /14 2016
うわーん、大ポカやっちまってたよー。
ねむいよー。
でも見つけちゃったから修正したよー。
修正したのはココデス。
修正部が長いので内容だけ。


一英編
4話「正義の代償」

修正前:
堀田金属で罠を施したあと、一英と公彦が一緒に帰路につく

修正後:
堀田金属で罠を施したあと、一英と公彦は別々に帰路につく


一緒に帰っちゃダメなのだー。
別々に帰らないと、ジャス編最終話に矛盾が生じるのだー。
バカボンのパパなのだー。
これでいいのだー。

うん、ねむい。

忘れないようにメモしておく。
修正したのは、カクヨム、なろう、タスキー、自分の手元ファイル。

まだ修正してないのは、HP、ノベリスト。

他にどこかに作品置いてたっけ?
眠くない時に再度確認すること。
修正したことを報告したのは、とりあえず、なろうのみ。

以上。

HPの更新と新投稿サイト登録

◆お知らせ・ご挨拶
03 /07 2016
save the cat によるジャンル分けを、HPのノベルページにも反映させてみました。
最終的に、ここで書いていたのとは違うジャンルに落ち着いたものもいくつかあります。
でもまぁ、こんなもんじゃないかと…;

そして、カクヨムという小説投稿サイトが新しくできたそうなので、新規登録してみました。
「葛飾、最後のピース」を一気投稿して、疲れ果てました。

改行多めバージョンを投稿しようかな

「葛飾、最後のピース」更新
03 /02 2016
ナイチンゲールを改行多めバージョンで投稿してみたら、少数ですがスマホや携帯でトライして下さる方が現れまして。
こんな長文小説を…よくぞ…!と感謝感激。
なので、すでに完結済みの「葛飾、最後のピース」ですが、こちらも近いうちに改行多めバージョンを投稿してみようかなと思いました。

トライして下さる方がいてもいなくても、やるだけの価値はあるっっ!☆
という一人遊び^^

小説家になろうのほうだけで改行多めバージョンやっていきたいと思います。
新しく別口で投稿し始めるのもなんなので、完結したものをまた連載に戻し、ジャス編のあとから新たに一英編(スマホ版)を投稿する予定です。
そのほうが、読む方も解りやすい…ですよね?
たぶん。

こちらも一日一話って感じでやっていきたいと思います。
もし用意できれば、今日から開始します。

(潮)あたりがついてきた

自作品
03 /01 2016
そういえば、先日書いた記事を少々訂正しました。
「葛飾、最後のピース」に相棒愛もあるような気がしたと言ってましたが、本をまたよく読んでいるうちに、相棒愛ではないなと結論しました。
条件に合わない。
ジャスティー編も「人岐路」だと思います。

****

最近このジャンル分けにやっきになってるのは、今後のプロット作りをもっとスムーズにこなしたいからです。
この本の示す「ジャンル」に合った展開をすることで、確実にシンプルなお話が出来上がると思います。
見る人も混乱しないで見られると思います。
当然ながら、ひとつの作品にひとつのジャンルがおさまってるほうが、作品としてのまとまりが良いようです。

私が長編のプロット作りに手を焼くのは、どうもジャンルが複数絡まることが原因のひとつのようです。
キャラごとに別ジャンルのプロットができあがってしまう。
この事態にパニックになるわけです。
誰目線で書けばいいか解らなくなる。
そりゃそうです、誰を主人公にするかでジャンルが変わっちゃうんですもの。

この本でジャンル分けされているものは、それぞれに雛形となる展開パターンがあります。
それは、ほとんどの人が言われなくても大体目にしているような、お約束の展開というやつです。
染み込んでるパターン。
私の中にも、知らず知らずのうちにその雛形はもちろんあったわけです。

「私のあなた、あなたの渡し」という長編がなぜトンザしたのか。

初めに思い描いていた展開があって。
それはこの本のジャンルで言うと、Aというジャンルに相当する。
なのに私はBというキャラを主人公にして、これを描こうとした。
ここがきっと迷路の入口だったんです。
Aジャンルで描くには、Cというキャラを主人公にしなければダメだったんです。
もしくはBというキャラを完全に語り部、観察者にし、その目線からCという主人公を描くとかの工夫が必要でした。
いずれにしてもCがストーリーの中心でなければならない。

一番初めは、Cが主人公だったはずなんです。
でも「一般受けしないかも」という不安がよぎり(笑)、Bを主人公にしてしまったんです。
けれどBを主人公にしたがために、思い描いていた展開にはなれなくなってしまいました。
Bというキャラがの受け持つジャンルの展開になっていっちゃったんです。
いったいどうやったら当初思い描いていた展開をねじ込めるのか、頭を痛めてました。
まとまらないー!(泣)
という状態です。

でもこの本のおかげで段々出口が見えてきました。
初心に戻って考えてみると、やりたかった「ジャンル」にもあたりがついてきました。
その「ジャンル」を描けるのは、Cが主人公という配置しかなかったのも、解ってきました。
いや、こいつを主人公にしなくても書ける術はあるのかもしれない。
でも今の私にはその技術はない。
だから今は、なるべくシンプルな完成を目指したい。

シンプルを目指す!
目指してもたぶん、ゴチャゴチャする気がするので…目指して損はないと思う!

きっとジャンルから想定して作り始めれば、こんな面倒は起きないんでしょう。
話に合ったキャラを最後に作るというやり方なら。
でもいかんせん、これはキャラが先にできてしまったお話なので、もがいております。
小説やマンガが好きな人なら誰だって、学生時代の授業中、こんな話が読みたいなーなんて妄想することがあるでしょうよ。
この小説は、そういう妄想が発端のお話なんです。

だから無駄にキャラから作っちゃってるんだよな。
キャラに愛着あるから、誰も捨てたくない。
このキャラたちにあったジャンルで完成させてやるのが、今の私が目指す自己満足です。

(潮)映画「セッション」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /01 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。
練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます


***




映画:セッション
ジャンル:組織の中で(組織の中の師)

やっぱりこのジャンルかなぁと思いました。
ストーリーとしては、音楽学校で音楽を教えている鬼教師とその生徒の話なんです。
鬼教師が人格破綻してんじゃないかってくらいに、生徒をしごきあげます。
その練習風景は軍隊さながら。
罵詈雑言、物も投げるし、皮膚がめくれて血が出るほど執拗な稽古を強いる。
その間も人格否定の言葉が飛ぶ飛ぶ。

そうじゃない! リズムがあってない! このド下手!(こんな優しい言葉じゃない)

この非情で厳しい稽古を負けるもんか精神で突破したものが、真のミュージシャンになるのだよ的なことを鬼教師は言う。
これにほとんど意地で食らいつくのが主人公なんだけど、その様子ははたから見てもヤバイ状態。
あなた洗脳されてるわ、もうやめて! あいつはただのドS教師なのよ!という状態。
事実、この教師のせいでうつ病になり死んだ卒業生がいる。

この映画ってたぶん、ざっくり言うと音楽バカの話なんです。
度を超えたプロフェッショナル精神というか。
音楽にだけ没頭して生きていくサガを持った人の話なんです。
人としての尊厳なんかより、音楽を極める。
いっちゃった人の話。
このいっちゃった人が鬼教師で。
彼こそが「いっちゃった世界の師」なんじゃないかなぁと。
で、「(音楽に対する姿勢が)おかしいのは俺(音楽バカ)なのか、お前(単なる音楽好き)なのか?」ということを描いてるんじゃないかと。

ネタバレすると…
主人公は最後、このいっちゃった世界の住人になったのではないかと思われます。

鬼教師のせいで挫折した彼は学校を退学し、音楽もやめます。
その後、例のうつ病で死んだ卒業生の関係者が現れ、鬼教師の稽古がうつ病を発症するほどヒドイものだったことを証言してほしいと頼まれます。
この証言のせいで鬼教師は音楽学校を解雇に。
解雇されたことで主人公を恨んでいた鬼教師は、偶然に再会した彼に対し、復讐を企てます。
誉めるような態度で、君が必要だ、一緒にコンサートしないかと持ちかけるのです。
自分が証言したことは鬼教師に知られていないはずでしたから、音楽での成功者になるという夢が捨てきれなかった主人公は、嬉しそうに参加することに。

このコンサートは、ここで失敗したミュージシャンは二度と誰からも声をかけられないような規模のもの。
ここで失敗はできないから、練習もたっぷりしてきた。
逆に言えば、ここでうまく演奏すれば成功者としての道が開ける。

しかし主人公はこの舞台上で復讐されてしまうのです。

演奏が始まる直前、鬼教師は「お前を殺す」と宣言。
事態が飲み込めない主人公ですが、とんでもないことが発覚。
ほかのメンバーと楽譜が違う!
鬼教師から、嘘の曲目を教えられていたのです。
当然、演奏できない主人公。
がんばって雰囲気で演奏するも、さんざん。
ものの一曲で、ミュージシャン生命が終わります。
してやったり鬼教師。

完全なる敗北に、主人公は二曲目が始まる前に舞台を去ります。
ミュージシャンとして成功する夢は完全に散りました。
そして舞台袖で家族に慰められ、お前は良くやった、ひどいのはあの教師だと抱きしめられた瞬間。
彼の中でなにかが変わる。

舞台にUターンした彼は、図太い神経でもって再び楽器の前へ。
鬼教師(指揮者なんです)の指示も聞かず、勝手に演奏開始。
殺したはずの主人公が何を思ったか生き返ってきたことに、ぎょっとする鬼教師。
主人公の奇行におののく他の演奏者だが、「俺はこの曲をやる! しっかりついてこい!」という態度に負け、一緒に演奏が始まる。

私が思うに、ですけど。
夢が完全に散った彼はもう、ただ音楽の人になったんだと思うんです。
厳しい稽古を突破したものだけが、真のミュージシャンになる。
どんなに蹴り落とされても、求められた技術を会得して、這い上がる。
これを地でいったんだと思うのです。

鬼教師の「復讐」なんかで今この場を立ち去ったら、「音楽の人」として終わる。
それは成功できないとかそういう現実面のチンケな問題じゃなく、「音楽バカ」としてのサガがなかったという宣言になる。
主人公が舞台に戻ったということは、成功とかどうでもよくなり、単なる「音楽バカ」が誕生した瞬間なんじゃないかと思うのです。

音楽で勝負しろ!という態度です。
で、ずっと鬼教師が求めてきた「完璧なる演奏」をしてみせる。
無の境地で、ただの「音楽バカ」として演奏してみせる。
音楽に全神経が集中しすぎて、意識も吹っ飛びそうになる主人公。

その演奏がすごすぎて、鬼教師も認めざるを得ない。
鬼教師の指揮に、的確に応える主人公の演奏。
これこそが本当の音楽だと、鬼教師も興奮し始める。
ずっと求めてきた「高み」を実現できる者がいたという喜び。
同じ境地で語り合える者が現れたという喜び。

二人は音楽で魂の喜びを語りあい、一切のセリフもなく、演奏が終わると同時に幕となる。
異常な二人を見せつけて幕。
いっちゃった世界で至福となった二人を見せつけて幕。

ここに真の音楽バカがもう一人誕生したのだった…

みたいな終わり方に、私には思えました。
なんだかすごく長くなったけれど、組織の中でというジャンルにあてはまるようが気がします。
こんな感じで。

【組織の中での条件】

1 「グループ」について語る(家族、組織、特殊な仕事など)
(この映画は音楽演奏者という特殊な仕事)

2 ストーリーは「選択」であり、「反逆児」または「観客と同立場である新参者的キャラ」がシステム側の人間と戦う
(この映画では新参者が主人公、システム側が鬼教師かな)

3 最後には「参加」「焼き倒し」「自殺」のうち、どれかの「犠牲」が払われ結末にいたる
(この映画では「いっちゃった世界への参加」かな)


本書では、このジャンルが扱う真の教訓は
「心の声に耳を傾けないことへの危険性」
だとあります。

そこだけしっくりきません。
危険といえば危険ですが、この映画の二人は心の声に耳を傾けていたんじゃないでしょうか?
魂の声というか、魂のサガってやつに従ったんじゃないでしょうか?
幸せだったんじゃないでしょうか?
そのへんは、見る人の判断かと思いますが…
私には危険なことというより、この人たちなりのハッピーエンドとして受け取りました。

どうも、本書の枠は狭いように感じます。
断定しすぎというか。
同じジャンルの中でも、違った描き方、違った教訓をもつものがあるように思います。
まぁ、この映画のジャンル分類を私が間違ったのかもしれませんけど…
それとも本書はあくまで基本、たまには応用みたいなものもあるということでしょうか。
本書の前提は「大衆受けする(売れる)」ための法則らしいから、セッションは「大衆受けしない」映画というくくり、なのかなぁ?
いや単純に、私がハッピーエンドと受け取ってることのほうがオカシイのかもしれない(--;

そういえば、先日の記事で、見たらきっと泣くとか言ってたけど泣けなかった。
頭の中がジャンル分類のことでいっぱいだったからかな。
物語に没入できなかったのかも。
でも面白い作品でした。

ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

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潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人