2016年05月17日 - さかえのよ

(潮)シナリオ作家には向いてない

◆雑記
05 /17 2016
少し前のことになりますが、古典落語をもとにした作品を作ったよなんてことがありました。
これは小説ではなく、シナリオを作ったのです。
勢いでチャレンジしてみたものの、結果的には、あまり良くないものができあがりました。

脚本術の本を読みあさる前だったというのも、中途半端なものを作ってしまった原因のひとつと思います。
けどそれを度外視したとしても、自分にシナリオは向いてないなと思った理由が。

どーしても、細かい演出を指定したくなってしまうのです。
ト書きにいっぱい書きたくなっちゃうのです。
これって違うよなー、絶対やっちゃいけないよなー、って書きながら思ってました。

シナリオってそういうものじゃないと思うんです。
もしかすると、シナリオも監督も同じ人がやるなら、これもありなのかもしれません。
でも私がやろうとしてたのは、そうじゃないから。
シナリオだけを書こうとしたわけだから。

そうなると、演技指定はあんまりしちゃいけないと、思うんです。
自分は演じ手も経験したことあるし、演出も経験したことあります。
そのうえで思うのは、
「シナリオ上での演技指定は、俳優や演出家の創作活動を奪うこと」
という悲劇です。

演技指定も、たまにはあってもいいと思います。
でもやりすぎは、やはりあまり良くない。

シナリオ作家が想像した通りに再現されれば、シナリオ作家にはとても感動があると思います。
けれど、その想像を超えた別のイイものが出来上がった時、シナリオ作家にはもっと素晴らしい感動があるんだと思います。
みんなで作る以上、餅は餅屋。
料理で言えば、シナリオ作家は素材の提供者だと思うんです。
だから料理法や味付けそのものは、俳優や演出家に任せるのが適材適所。
人に任せられる度量が、シナリオ作家には必要なのかもしれません。

作る人によって、まったく違うものが出来上がるということ。
それを楽しめる度量。

でも私にはそれがなかった!
(ノ)’∀`(ヾ) マジ、ウケルー

んで、やっぱり自分は演出のほうが好き、って解ったんですけど。
昨日あたり過去のブログ記事を見ていたら、すでに数年前、自分でそう言っていたことが解り。
シナリオ向いてない、とか言っていたことが解り。

人間ってどうして忘れちゃうんだろうね、ハハハ。
なんて遠い目している本日です。

もし私が他の方と創作コラボするとしたら、シナリオとしての参加ではないだろうと、今一度ここで確認しておこうと思います。
万一シナリオ参加した場合、おめー地獄を見るぞと、ここに記しておこうと思います。

ぐろわ姉妹

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