2016年11月 - さかえのよ

(潮)手書きでやりたい

「私のあなた、あなたの渡し」日記
11 /24 2016
ただいまBGMはルパン三世。
なんでルパン選んだのかは、よく解んないけど。
やたらタイピングがリズミカルになるのだけは確か。



さてと、シナリオ作成の現状報告。
いま、割と困ってるよ。停滞している。
理由はふたつ。

ひとつは、マリアのイジワル口調をとんでもなく忘れてしまったから。
読み直せば、あぁ確かにこうやってしゃべってたって解るんだけど、いざ新しいセリフを書こうとすると、なんだか書けない。
なーんか変。
おかしいな、前は書けてたのにな。
しょうがないから、イメージの湧く写真やら声やらをあさりなおして、自分の中のキャラ作りをしたりしてる。
キャラ作りしながら、マリアはほとんど妹がセリフ直してくれてたっけと、今更思い出す。
うーん。
想定以上の壁を感じる。
しかたないから、とりあえず、言わせたいセリフの内容を書きとめ、口調に関しては追々修正する所存。

ふたつめの理由は。
パソコンに向かうと、肩が凝りすぎてまったく集中できない。
今こうやって、ブログをつらつら書いてるくらいじゃ肩は凝らない。
なのに、シナリオ作業になるとすげー凝る。
きっと、考え中に頬杖つくのがいけないんだと思うの。
ブログ書くみたいに、ずっとキーボード打ってれば、背筋も伸びるしダイジョウブなの。
でもシナリオはスラスラ打てないから、どうしても頬杖しちゃう。

で、あんまり凝るから、おいらは対策を考えた。
パソコン作業をやめようという対策。

ここはいっちょアナログに、手書きでシナリオを書いていくことにした。
これなら、床にゴロゴロしながらだってできるぜ。
でも紙っつーのは、何度も書き直す手間がやっぱりつらいな。
消しゴムつらい。コピペもしたい。

だから、なんとか簡単に手書きで書けないかなーっていま、模索中。
やっぱり、プロット同様、ふせんを使うのが一番かな?
ふせんにセリフ書いていく。
ト書きもふせんで。
ペタペタ。
やってみるか。
ふせんか他の方法か、形が落ち着いたらシナリオ作業がもっと進むと思います。

あぁ、あと。
シナリオは極力簡単に書くなんて言ってましたけど、マリアの口調でつまづいたせいか、ちゃんと書きはじめちゃってます。
まぁのんびりやります。



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(潮)小説「カラフル」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
11 /18 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※ネタバレしてます。


***




◆小説「カラフル」
ジャンル:金の羊毛

今日は映画じゃなくて小説。

森絵都さんの本。
題名だけで、読みたかった作品。
人生についてのことが書いてあって、きっと、人間そのものを色にたとえている。
色んな色があるね、こんなにカラフルだよ、みんな違ってみんないい。
そんな内容なんだろうな、と題名だけで当たりをつけていた作品。

で、結局はやはり、そういう落ち着きどころの作品でした。
「十人十色、世界はなんてカラフルなんだ」
作中でそんな風に書いてあったかは覚えてませんが、主人公が学ぶのは、そんなことだったと思います。
なんだろな、やっぱり映画よりも記憶があいまいになりますね。
小説は。
私の脳内映像化技術がオソマツだからでしょう。

この作品も、ベンジャミン・バトンと同様、「人生の岐路」か「金の羊毛」かで迷いました。
私はこの2つのジャンルがどうも好きみたいです。
よくよく、引っかかる。
好きとはいっても、金の羊毛の中では、ロードオブザリング的なのにはあまり興味がなく。
「人生についての答えを探してる系」の、書き方が違えば「人生の岐路」なんじゃない?っていう金の羊毛が好き。
つまりは、人生の岐路が好き。

で、カラフル。
今回は、一応「金の羊毛」で落ち着いてみました。
たぶん、内容的に「金の羊毛」ではないかと。

主人公は、大きな過ちを犯して死んだ魂。
このままでは輪廻の枠から外され、消滅してしまいます。
その魂が「修行」のチャンスを与えられる。
今まさに死の淵にいる少年の体に乗り移り、その少年のフリをして再び下界で暮らすのです。
少年のフリをしつつ下界で暮らすうち、自分の犯した過ちを思い出すことができたら、そこで修行終了。
見事、輪廻の枠に戻れます。

こんな冒頭なので、金の羊毛っぽい。
金の羊毛とは…

●「道」がある
●「仲間」がいる
●「報酬」がある

主人公が手に入れたい原始的な「報酬」。
カラフルの場合は、「輪廻の枠に戻る」こと。
そのために主人公は「道」に出て、なんらかの旅をしなければならない。
カラフルの場合は、「下界」に戻り、修行をしてこなければならない。
主人公の旅には「仲間」がつきもので、彼らは主人公にはない能力などをもち、主人公を手助けする。
カラフルの場合は、修行のガイドとして現れた「天使」がそれにあたる。

読んでいて、すんごく日本的だなぁと思ったのが。
主人公のやる気のなさ。
下界へ旅に出る気ない。
超、イヤイヤ。
修行してまで輪廻の枠に戻るつもりもない。
行けって言われるから、仕方なく。

こういうの、save the cat では、やっちゃダメって言われてる。
初めはイヤイヤでもいいんだけど、とにかくなんらかの理由をつけて、主人公が自ら踏み出すように仕向けなきゃいけないとか書かれてる。
イヤでもやらなきゃいけない、切迫した理由とか出せと。
自らの意思で第二幕に入っていかなければならない。
そうでないと、観客がついてこない的な。
動機がアマい感じにうつるのかな。

ちょっと否定的なこと書いちゃってますけど、カラフルの書き方が悪いと言いたいわけではありません。
ドラクエの主人公もだいたい、こんな感じで受動的だし。
こういう主人公は日本人向けで、逆に共感しやすいという人も多いのだろうと思います。

でも、でもね。
save the cat で言われてることも、やっぱり一理あるなって思ったんです。
実際にこの小説読んでみて、あんまり引き込まれなかったのですよ。
イヤイヤで第二幕に入っていくところまでは、私も日本人なので平気でした。
でもその後も、主人公がけっこう長い間、受動的なんです。
「これのために」、下界での修業を頑張ろう。
そう思い始めるのが遅く感じました。
ストーリーの途中、主人公が、「体を借りている少年が生き返れるよう、自分が修行を頑張ろう」って思い始めるのですが、それがかなり最後のほうだったんです。
もうちょっと初めの方でそうなってくれれば、感情移入しやすかったのかなぁとか、save the cat を読み返しながら思ったり。

でもね、内容はすごく好きな作品だと思ったのです。
かなり初期段階でオチが読めるんだけど、それもまたイイんですよね。
主人公(魂)の正体は、のりうつった少年だった、っていう回帰なオチ。
自分の体に乗り移って修行していた、っていうオチ。
オチに確信を持ちつつ読み進める快感がたまらなくイイ。
主人公が「視点を変えて物事を見る」的なことに気づくのも好物系だし。

save the cat が禁忌にしている、主人公がイヤイヤで、長いこと受動的で、っていうのも、日本の若年層向けとしてはイイのかもしれません。
逆にこの「感じ」が、日本の若い人にはいいのかも。
感情移入がしやすいのかも。
なんかもう、そんな感じとっくに忘れてる私はBBA(ーー;
最近ね、RPGとかも楽しくないんだよね、アハハッ!

save the cat が一理あるって思ったのは、あの本は「万人向け」を目指しているからです。
もしカラフルの主人公が、save the cat にそった動きをしていたら、「私でも」感情移入できたんだろうな、と思えたから。
save the cat は、「誰にでもわかる」とか、「原始人でも感情移入できる」とかが目標。
どの国で上映しても、一定数に観てもらえる映画。
そのための脚本術だから。
なるほどなーって。たしかになーって。

けど、日本人が日本人のために作ってるんなら、そんなのムシでいいと思うし。
日本の中でも、年齢層ごとにツカミは違うと思うし。

もしカラフルが若年層だけじゃなく、成人層も読者として視野に入れてたなら、自然と主人公のイヤイヤ感はなくなってたんだと思うな。
save the cat どうこうじゃなく。
自然とそうなってたと思う。
どの年代層でも感情移入できるように。
それをしてないってことは、きっと初めから、ピンポイントに年齢層を限定してるんだと思います。
そういうやり方もアリだし、需要は確実にあるはずだよなって思いました。

以上。





***

おまけ。


カラフル。
こないだ言ってた、ずっと読みたかったけどスルーしてた本ってこれでした。
一人称だから、今は読みたくないななんて思ってたんですけど。
不意にやっぱり読みたくなって。
でも図書館行ったら見当たらなくて。
諦めて帰ろうかななんて思ったら、「何が出るかな?」的なコーナーを発見しまして。

図書館員がテーマにそって、三冊ずつ選んだよ!
新聞紙で包んだから中身が見えないよ!
さぁ、何が出るかは借りてからのお楽しみ!
君ならどのテーマを選ぶ?

基本的には、活字離れしてるという若年層に向けてのコーナーでした。
中身もたぶん、中高生向けの本が入ってる。
でもオイラは見事に引っかかったね。
だって自分じゃなにを読んでいいか解らんし、テーマで絞ってくれるなんて、こういうの助かる。
どれにしようかな?
それぞれのテーマを見てるうち、その中に「カラー」っていうのを発見。
カラー!
直感的に、この中に「カラフル」が入ってると思い、ソッコー手に取ってカウンターへダッシュ。
見事に入ってたので、これはもう読めってことでしょう、と一日で読みました。
若年層向けだからかな、読むのにまったく時間がかからなかった。
カラフルは、題名と黄色い表紙が気になってただけなので、若年層向けだとは知らなかった。
思春期をとっくに終えてしまった私にとっては、主人公が母親の浮気を毛嫌いするくだりとか、父親を人でなしのように感じる部分などは、ほとんど共感できなくて、そのせいで感動とまではいかないけど、内容は好物でやはり面白かったです。

(潮)映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
11 /17 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます。


***




◆「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
ジャンル:人生の岐路

デビッド・フィンチャー監督の作品です。
以前は、監督とかほとんど気にしないで見てたほうだったのですが、最近はちょっと気になります。
デビッド・フィンチャー、聞いたことある気がするけど、他に何の作品を?
「セブン」「ファイト・クラブ」
そうなんだ。
ブラッド・ピットが好きだった私にとって、意外と触れていた監督さんでした。
で、この作品も、ブラッド・ピット主演。

有名な映画ではありますが、この映画を簡単に説明すると。

「不気味にも老いた体で生まれた少年は、歳をとるにつれ体だけは若返るという特異体質だった。
自分は若返るが、愛する人は老いていく。
それに伴う苦悩に振り回されつつ、自らの人生を見つめ、愛する人と関わっていく話」

こんな感じでしょうか。

この映画、人生の岐路か、金の羊毛かで迷いましたが、一応最終判断としては、人生の岐路にしてみました。
映画の内容からして、人生の岐路じゃないかと思うんですよね。
前にも書いたかもしれないけど、人生の岐路というジャンルはこんなものです。

●主人公が苦悩している
●その苦悩とは、誰にでも訪れがちだが、誰にとっても受け入れ困難な内容のもの
●主人公が本当の自分を受け入れた時に初めて、その苦悩が終わる

二番目の項目が解りづらいかもしれませんが、たとえば「愛する人との死別」とか、「配偶者の浮気発覚」とか、「思春期における周囲との対立」とか、そんな感じのことです。現状を受け入れられないからこそ起こる苦悩、といった感じ。

ベンジャミン・バトンは普通の人間とは違うわけですが、苦悩の種類でいうと、凡人とそう変わりありません。
「老いた体で生まれ、若返りながら育ち、赤ん坊の状態で最期を迎える」
普通と違うのはこの設定だけ。
苦悩してるのは、

「生まれて、生きて、死ぬ。とはどういうことか」
 +
「ずっと一緒に、愛し合って、とにかく普通に暮らしたいのに、それができないつらさ」

です。つまり、

「人生ってなに?」
 +
「一緒にいたいのに、いられない!」

これだけです。
save the catで言うところの、「原始的な動機」にあたるのはこの辺なんじゃないかなぁと。
よくあるつらさ。
今も昔も変わらない、誰にでも訪れるような、普遍的なつらさです。

後者に至っては、ロミオとジュリエット的なつらさ、とも言えるでしょうか。
ベンジャミン・バトンの場合は、ロミオたちのように周囲の反対があってというよりも、自分自身が反対してるだけですが。
ベンジャミンが頑なに自分を受け入れてないだけ、とも言える。
見ている側としては、そんなの気にしなきゃいいじゃん、一緒にいなよって思うけど、一緒にいられないというベンジャミンの気持ちも解るから感動的なんだと思います。
この普遍的なつらさに付随して、老いていくこと、人には抗えない自然の力、運命、といった悩みが上乗せされていきます。
辛い状況になったとしても、その人生を受け入れる…といった道のりになっていきます。

金の羊毛と迷ってしまう理由は、きっと、主人公が「答えを探している」からなんじゃないかと思います。
「探し物をして旅に出る」っていうのと、どことなく似ているなぁなんて。



作中で繰り返されるキーワードが幾つか。
「永遠」
「みんな孤独」
「人生はわからない」

この辺がテーマなんでしょう。
「人生はわからない」
確かこのセリフがかなり初期から出てきてたから、これが「テーマの提示」というビートになるのかな。
ベンジャミンは「みんな孤独」だということを人生の中で知り、その後、「永遠はある」と言うようになります。
自らの人生を受け入れたからこそ、そう言えるようになったのです。
その変化こそが、「人生とはわからない」もの、になるのかと思います。



メタファーでいうと、色々とアメリカ人なら気づくんじゃないかなというものが散りばめられているっぽいです。
アメリカの歴史的な背景とか。もろもろ。
たとえば、こんなの。

この作品は、基本的に過去を振り返るパターンの映画なのですが、現在の時間軸は2005年で展開していて。
2005年に起きたハリケーン・カトリーナが接近中、という状態が現在の時間軸です。
なんでも甚大な被害を及ぼしたハリケーンだったそうで、原作にはないこのカトリーナを出すことで、当時まだ復興中だった人々へ、様々な励ましのメッセージをこの作品は伝えようともしているそうです。
人生を受け入れるための、メッセージ。
この映画は人生を受け入れるための名言が満載なので、そういうのが好きな人には本当におすすめ。

でもこういうメタファーは、私にとって、映画のことを調べたからこそ解る背景。
地元民ならすぐ気づくのでしょう。

私に気づけたのは、ベンジャミンという名前の意味くらいでしょうか。
ベンジャミンって植物があります。
調べたら、花言葉には「永遠の愛」というのがあるそうで。
でもこれ、日本語版の花言葉かもしれません。英語だと違うかも。
もし英語で違うのだとしたら、ある意味、奇跡的なメタファーになってます。

逆行する時計とか、ハチドリは無限を描きながら羽ばたくとかは、作中でもハッキリ提示してるメタファーなので、誰でも気づけます。こういうハッキリしたのはメタファーって言わないのかな? 言うのかな?

あとはなんだろな。
怪しいのは、ベンジャミンの実家が「ボタン工場」を営んでいた事かな。
「ボタン」になにか意味があるっぽくて。
ネットで色んな人の気づきを拝見すると、ボタンについても色々あるんですけど。
私個人としては、「ボタンそのものを人間にあてはめている」んじゃないかなと思いました。

ボタンには様々な色や形、種類がある。
それは人間も同じ。
人間にもいろいろいて、それぞれに違った色合いの人生がある。
人は皆、孤独である。
ボタンもまた、本来は孤独である。
だがボタンとは、右と左をつなぎ合わせるものでもある。
ボタンにあったボタンホールや、ボタンを引っかけるためのループさえあれば、何かと何かをつなぎ合わせることができる。
それがボタン。
人も人同士、つなぎあってみたり、また外れてみたり。
ボタンと同じく、掛け違えればおかしなことになったりもする。

ベンジャミンも、人生の中でいろいろな人と関わり、その時々で、互いのボタンをかけるように心を寄せてきた。
人は生まれて、死んでいく。
出会っては、別れていく。
それはまさにボタンようで。
かけては、外れていく。
合わさっては、離れていく。

幼い頃のベンジャミンは、その状況を憂えてるようなところがあった。
きっと悲しかったんでしょう。
永遠なんてない。
まさにそんな気持ち。
でも答えを求めて悩み続けた結果、ベンジャミンは「それが人生なんだ」って受け入れたのだと思います。

三時間くらいある映画だけど、面白い映画です。
ほんとに、無駄なセリフがありません。
すべてのセリフがテーマにそっていて、語られる意味があります。





(潮)三人称のモードになりたい

「私のあなた、あなたの渡し」日記
11 /09 2016
テイクミーを執筆するときは、三人称にしたいと思っている。
葛ピーみたいなエセ三人称じゃなくて、もっと三人称のやつ。
でもね、まだそのモードになれない。

ナイチンはだいぶ、三人称だったんじゃないかと、記憶してる。
あんな感じでいいのかな。
読み返せばモードを思い出すかしら。
でも、ナイチンを読み返すのはイヤなのね。
できれば、もっと内容を忘れたいからね。(いつの日か楽しむために)

けどやっぱ、なにか、三人称の小説を読まなきゃなぁとは思ってるんだ。
三人称モードに慣れたい。慣れたい。
読みたいけど、読めるかなぁ…。
自信ねぇなぁ。
図書館行っても、どれ読んでいいやら。
唯一、ずっと前から、読みたい読みたいと思ってスルーしてきた小説があるんだけど、それこないだ手に取ってみたら、一人称だったし。
こなくそぉっ。

ま、いいや。
執筆は、まだ先の事だし。

(潮)シナリオ作業開始

「私のあなた、あなたの渡し」日記
11 /08 2016
ジャスティーにとりつかれて、しばらくこっちに手が付けられなかったんだけど。
やっと追い払えたので、こっちやることにします。
あいつホントうるさかったぞ。
もう一本くらい、やつらの短編書きたくなったりして、ホントにやばかったぞ。
ネタがあれば書くけど、ないから!
ないのに見つけようとし始めてたから!
いやいや、違うだろと。
手つけてるほうやれよと。

えーと、例のオッサン小説な。

いつだったか、プロット作成がラストまで行きまして。
何回か読み返してみても、そんなに突っかかるところがなかったので。
今日からこのまま、シナリオ作成に入ってみようかなぁと思っています。
頭の中ではそこそこスムーズに作成できそうなイメージなんですが、実際やってみて、どうなることやら。
んで、シナリオでも上手くいったら、いよいよ小説にしていくつもり。

しっかしな、この、いったんシナリオ化するっていう段階がなくせたら、もっと早く書きあがるんだろうね。
だろうねって思うけど、今は、なくせる気がしないです。
なしで書くの怖いの。
(--;)

シナリオって言っても、重要なせりふ、重要な動き、だけをまとめたものです。
それでも、それがやはりワシには必要なんだ。
どうでもいい雑談とかは、幾らでも一発勝負で書けるので、それは特別にシナリオ化する必要もないのよ。
でもそっちばっかり書いちゃって、大事なことを忘れてしまう傾向が自分にはあるので。
シナリオは必須と思います。
言わせなきゃいけない大事なものは、忘れたくないし、ちゃんと入ったかも確認したいし。
うん、やっぱり必要だじぇ。

ひゃっほー。

(潮)葛ピーの改行増量しました

「葛飾、最後のピース」更新
11 /02 2016
小説家になろうに投稿している、「葛飾、最後のピース」の改行増量作業が終わりました。
ずっと放置してたんですが、帆船小説のプロット作成がひと段落したので、やっと改行に着手。
やってみたら、二日で終わりました。
早くやればよかったよ。

いんやー。
できれば読み直したくはなかったんだけど、作業の性質上、目を通してしまうじゃない。
そしたらさぁ、自分で書いておきながら、胸が苦しくてさぁ。
これって、なんなんだろう?
主人公の二人に自分と重なる部分なんて、ほとんどないと思ってるのに。
キャラクターとしてはそりゃ、分け御霊みたいな部分はあると思うけど…。
私個人は、彼らみたいな過去しょって生きてるわけじゃないのに。
なにを感情移入してんのかいな?

これは、人物が映っているから公開してはいないんだけど。(妹には見せたかも?)
私が勝手に、「これこそが、完全に作品イメージ一致写真!!」だと思っている画像がありますのね。
夕刻のオレンジに染まる光を浴びて、下町っぽい風景のなか、踏切へと歩を進めるジャスティーが、歩みは止めないままだけど、一英を気にするように流し目でこちらを振り向いている。(カメラ目線)
という妄想ができる画像です。
一英目線なので、映っているのはジャスティーのみ。
いや、ジャスティーとか言っちゃってるけど、ジャスティーじゃなくて。
ジャスティーのイメージ人物として脳内活動させて頂いてた、あるお方が映っているんです。

この画像をね。
見ると、胸がぐっと苦しくなるわけなんですよ。私は。
作品を書き終えて、この苦しさをすっかり忘れてたのに、今回また見てしまいました。
そしてやはり、ウグッとなった。

ジャスティー編を収めたワードファイルをね、改行作業のために開いたんですよ。
そしたら、これが表紙ですと言わんばかりに、その画像がトップに貼ってあった。
貼ったの忘れてた。
で、見事に自分のかけた罠にはまり、ウグッってなった。
とりあえず、
お前は一人上手か!
と自分に突っ込んどいた。

この画像、ジャスティーの表情がたまらなくイイんですよ。
日常会話をしてるだけのようにも見えるし、なにか企んでるようにも見えるし、すごく心配しているようにも見えるし。
嘘ついてるようにも見えるし、ホントついてるようにも見えるし、笑い出しそうにも見えるし、泣き出しそうにも見える。
不思議な表情だなって、思うんです。
だから妄想が、膨らむ膨らむ。
好きな写真だす。

多分、この写真見ると、執筆してた時のことを思い出すのでしょう。
これを見ながら、ずいぶんとジャスティーの心境を妄想していた。
きっと、あの感覚を思い出すのでしょう。

「葛飾、最後のピース」の文章は、三人称ぶった一人称なんです。大半が。
あえてそうしてたんですけど、一英やジャスティー視点での描写部分が特に顕著。

他の方はどうか解らないですけど、私の場合は、一人称で書くためにはちょっとした演技が必要で。
そのキャラを自分で演じないと、それらしい文章が出てこない。
で、恐らくは、一英を演じたときよりも、ジャスティーを演じた時のほうが、自分のなかでのどハマリ感があったんでしょうね。
ジャスティーには、イメージ人物として確固たる存在もありましたし。
なんか、その、どハマリ感を思い出しちゃう。
ガッってまた、自分の中にジャスが入ってきちゃう感じです。
出てけ、この。

基本的にさ、自分が読みたいと思う作品を、作るわけです、私は。
書きあがって、何年かして、忘れた頃に自分で読んで、自分で楽しみたい。
そんな動機なんです。
自分に合う作品を求めてさまようのは、もう面倒くさいと思ったんだろうね。
なかなか出会えないから、自分で書こう。という。
文章も自分が好みなようにしか書かないし、話の流れも、自分が好きなようにしかしない。
オレワールド全開。

だから、誰かが作品を気に入ってくれるなんてことは、けっこうな奇跡だと思っている。
そんな方と何人出会えるかは解らないけど、出会えたら、私がというよりも作品が喜ぶだろうと思ってる。
だから、ささやかながら改行作業をしたりする。
私だって、自分を喜ばすために書いてはいるんだけど、自分が書いた作品じゃなければなぁ、というのが本音。
自分にフィットする作品を、誰か別の人が書いてくれていたら、すごく嬉しい。
すごく楽しく読める。

その気持ちが解るから、だから公開してる。
フィットする誰かが見つけて、楽しんでくれればなぁって。
最近はそう思ってる。

ネット小説という活動を始めた頃は、完全に自己顕示欲から公開してたと思う。
でも今は、そうじゃない気がしてる。

感想とか、くれたりゃそりゃ嬉しいけど、くれなくてもいい。
足跡残さんでもいい。
読んで、楽しかったらそれでいい。
つまんなかったら、去ってってくれれば、それもいい。
何人楽しんでくれたかは、死んだ後に、きっと閻魔さま的なのが教えてくれると思うから、今ムリして教えてもらわんでもいい。
何人楽しんだとしても、書いた当人の私がとにかく楽しんだんだから、私としてはそこでもう100点満点の活動なのです。

どこへたどり着くのか、話のゴールが見えなくなってきたので、ここで語るの終わる。(笑)



ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

ぐろわ姉妹
潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人

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