(潮)脚本術 - さかえのよ

(潮)脚本術

◆雑記
02 /18 2016
魔法使いは魔術を身に着けてこそ一人前の魔法使いになるんだろうから、オイラも小説家らしく脚本術なんかを身に着けようかと思い、そっち系の本を3冊注文したです。
カツピーのプロット作りに限界を感じた頃、ネット上でプロットの作り方や脚本の作り方をあさって少々学びました。
それで劇的にプロット作りが進んだので、ずいぶん味をしめたわけです。
だから次の作品を作るためにも、もっとしっかり勉強してみたいなと。
ネットだけでも十分役立つ情報を載せてくださってる方がいらっしゃいますが、今回は目に優しい紙の本を購入。

脚本術をかじったからってカツピーがちゃんとしたプロットだったかというと、そんなことはなくて。
まだまだだったと思います。
でも一応の形にはなれた。終わりまでいけた。
脚本術はまさに「術」です。
方程式みたいなもんです。
それはもう目からうろこというか、やっと突破口見つけたって感じで嬉しかったんです。
へたくそな話だったけれど、自分の成長段階としては、あれで最善、あれで良かったと思ってます。
書き上げること、終わらせることってやはり大事だと思うから。

脚本術そのままを再現すれば、きっと百点満点のものができあがる。
でも自分にとってどうしてもはずせない、思い入れのあるネタ、設定ってのがある。
それが脚本術から見て有用であれば使っても問題ない。
だが「無駄」だった場合、それらを盛り込もうとすると脚本術から逸脱し、きちんとしてない(メリハリのない、つまらない)ストーリーになってしまう。
百点満点はのぞめない。
ここで言ってる百点満点は「万人受け」のことです。

脚本術っていうのは、より多くの人を楽しませるためのストーリー展開術の事だと思います。
それは、猫にマタタビをあげるのと似てると思います。
人間はこういう展開が好き、っていうことだろうと思います。
その「好き」の度合いが人によって違うとは思いますけど。
猫だってマタタビの効き具合って個体差あるんじゃないでしょうか。猫じゃないからわかんないけど。

だから、私みたいなスタンスでやってる人間は、万人受けをそれほど意識しなくてもいいんじゃないかなって思うんです。
莫大な費用をかけて映画作ってるわけでもないし、利益として回収しなきゃいけない額もない。
つまり、たくさんの人を楽しませてお金を落としてもらう必要がない。
私なんかはたくさんの人を楽しませる必要がないのだから、自分の好きな状態に持っていって完成させることができればそれで問題ないわけです。
自分の好み全開でいくわけだから、万人受けしたら逆におかしい。
だって普段の自分が「みんなの人気者」じゃないんだから。

普段の生活で他人の話を聞いているとき、心底から本気で「それわかる!」と思えることばかりの人なら、きっと自分の好み全開でも万人受けすると思う。
でも「自分なら、そんな時はこうするだろうな」とか「え、一般的にはそんなふうに考えるものなの? びっくり!」って思うのが多い人なら、まず万人受けはしないだろうなぁ。

自分の好きなマンガとか映画とかドラマとか振り返ってみて、ほかの多数の人も「好き」と言ってる作品があるかどうか。
もし一作でもあるんだったら、そこが「万人」と「自分」の共通点なんだと思う。
人気作を作りたいんだったら、その共通点をうまいこと使えればうまいこといくのかもしれないな。
…なんて確証もないけど、書き散らかしている。

ただ万人受けはしなくても、好みが一致する人は必ずいると思う。
そういう人が見つけやすいよう工夫するのは、作品を有効活用してもらうために必要なことだと思う。
(私はたいして工夫してないけど)

うーん、今日はなんでこんなに語りモードになってしまったんだろ?
ま、いいや。
今日はそんなことを考えている。

ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

ぐろわ姉妹
潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人