(潮)映画「サイモン・バーチ」を分類 - さかえのよ

(潮)映画「サイモン・バーチ」を分類

◆脚本術/ジャンル仕分け
03 /30 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます。

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◆サイモン・バーチ
ジャンル:金の羊毛

幾つかのジャンルで迷ったんですが、消去法で「金の羊毛」に落ち着きました。
毎度のことながら、メモ的に書いているので支離滅裂ご勘弁を。

この映画の扱っているテーマは、「神の計画というものが、あるのか、ないのか」です。
主人公は少年ジョー。神の計画なんか信じていません。いわゆる現実主義。
その親友がサイモン・バーチ。なんとか症っていう、大人になっても小人のような小さい体を持つ人です。(ごめんなさい、病名忘れました。急いでるので調べないで続けます)
サイモンは、医者から「長くは持たない」と言われた自分が12歳まで生き延びたことや、そもそもこんな体で生まれたことにも、何らかの意味があると考えています。きっと神様が、何かの時のためにそう作ったのだと。神には計画があると。この体で生まれた意味、使命、それがきっとあると確信しています。

「金の羊毛」ですから、主人公が何かを探して旅に出るわけですが。
その探し物は「本当の父親」になります。

主人公ジョー(12)には美しい母がいます。
母は結婚しておらず、ジョーの父が誰なのかを彼女は誰にも言いませんでした。
大人になったら教えてあげると言われて育つジョー。
でもある時、事故で母は死んでしまいます。誰が父親なのか解らないままです。

ジョーとサイモンは、ジョーの本当の父親捜しを始めます。
最終的に父親は見つかります。
けれど「金の羊毛」のお約束通り、「探していた宝が見つかるが、見つかってみるとそれはどうでもよく、実は旅の途中でもっといいものが手に入っていた」という状態になっています。

ところで、「感動」の種類には2種類あると読んだことがあります。
1つは、主人公が成長することによる感動。
2つめは、メタファーに気づいたことによる感動。
この映画はすごくメタファーの効いてる感動的な作品でした。
どんなメタファーだったのかを少し書きますが、これを書くことで自ら気づくという感動を奪ってしまうと思うので、この映画を楽しみにしていた人は見てはいけません!
(><)ゴメン…!!
映画見てからもっかい来て!!

あと、これはキリスト教を土台にしたメタファーなので、ただの日本人である私には誤解もあるでしょうし、気づききれない詳細なメタファーもあるはずです。
キリスト教に詳しい方からしたら、私の説明にはモヤっとしたものが残るかもしれませんが、そのへんはご勘弁ください。
この映画はキリスト教に詳しい方のほうがより楽しめる、理解が深まる作品だと思います。




















●「父」に関するメタファー
この映画、信仰心を扱うだけに、教会通いや、教会関連のイベントがほとんどの場面です。
私はあまり詳しくないのですが、キリスト教の方々は神様のことを「ファザー(父)」と呼んだりしますよね。
この映画は先ほども言ったけど、「父親捜し」の旅です。

サイモンの両親は健在なものの、病気のサイモンを生まれた頃から大事にしていません。無視して、ほったらかし。
DNA的な父はいるが、彼に見捨てられているサイモン。
でもサイモンは、「本当のファザー(神)」を絶大に信じています。

一方、ジョーには「本当のファザー(DNA的な父)」がいない。そして信仰心もない。
終盤で見つかるジョーのDNA的父親は、いつも行く教会の神父さま。神父のことも「ファザー」と言ったりするそうで。
ジョーは、自分の左利きはきっと父親譲りだと思っていました。そしてそれは当たりました。
でも「信仰心のなさ」も似ていました。

サイモンのほうも「本当の父(神)」によく似ていました。
それは信仰心の強さや、彼が「父の子(キリスト)」のような振る舞い、考え方をするところに現れていたと思います。
このあたりが「父」に関するメタファー。


●子(キリスト)に関するメタファー
サイモンは「父の子」でした。つまりキリストのようなものでした。
この映画ではテーマとして「われわれ、誰もが父の子だ」と言いたいのでしょうが、とりあえず映画の中では、サイモン以外、自分自身のことをそう評価している人間はいませんでした。
クリスマスがやってきて、キリスト誕生の劇をやることになり。
サイモンは体が小さいので赤ちゃん役、つまりキリストに選ばれます。
本人は嫌がっていたけど、シナリオ的には適役ですよね。どはまり役。
あと、キリストと同じように、常識人が耳をふさぎたくなるような「正論」を堂々と言い張るところなどもありました。
権威者から煙たがられている感じも、理解されなかったキリスト風。


●母(マリア)に関するメタファー
メタファーとしてキリストであるサイモンは、ジョーの母親にとてもなついていました。
ジョーの母は、実の両親に見捨てられているサイモンをいつも温かく出迎え、いつも優しく気にかけ、彼の体が小さいことも蔑視してはいませんでした。
彼女はこの映画において、聖母マリアの象徴と思われます。
サイモンが、彼女の「おっぱい」をとても魅力的だと発言するシーンがあります。それは年頃の少年らしさとして表現されていましたが、メタファーとしては「マリアの赤ちゃんであるキリストらしさ」なのだと思います。
また、サイモンが好意を寄せている女子生徒にもマリアのメタファーが。
この女子生徒のほうもサイモンに好意を寄せており、サイモンはこの女子生徒の「おっぱい」も気に入っています。
そしてクリスマスの劇で、彼女はいやいやながらも「マリア役」に指名されるのです。
んでもって映画のラストでは、この女子生徒が「あなたこそ英雄よ」というようなことを言って、死にゆくサイモンの頬にキスをします。
母からのご褒美のように見えました。


●なんのメタファーか判断できなかったもの
もしかするとメタファーかなって思うのが幾つか。

1つめ。
ジョーの母は、サイモンの打った野球ボールが頭にあたり、ぽっくり死んでしまいます。
「キリストのせいでマリアが死ぬ」みたいなことがキリスト教にあるのだとしたら、それのメタファーかも?と思いました。
もしそういうエピソードがないのだとしたら、キリスト(サイモン)の「神の計画」が発動するために、マリア(ジョーの母)がわが身を差し出す。というような、深き愛情的なことかも?と思いました。

2つめ。
ジョーの母親が連れてきた新しい恋人、ベン。
彼が最終的にはジョーと養子縁組をして父親になる人なんですが、「演劇科の先生」なんですよね。
クリスマスの劇もあることだし、彼がなにかのメタファーっぽいんだけど、気づくことができませんでした。

3つめ。
物語中に「鹿」が何度か現れます。
この鹿がきっかけで、サイモンが使命を果たすことになります。
「使者」的な位置づけなのですが、なぜに「鹿」だったのかと。
日本では鹿は「神様の使い」といった話がありますよね。
外国にもなんかいわれがあるのかなー?なんて思いました。
…と、この辺で適当に検索した結果。
キリスト教と鹿には、関連があるそうです。




この映画みたいに、無駄のないメタファーで作品を作れたら…!
としみじみ思いますなー。
泣きましたわ。

なんだろうね。
主人公はジョーなんだよ。
でも心に残るのはサイモンなんだよ。




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