(潮)映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を分類してみる - さかえのよ

(潮)映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を分類してみる

◆脚本術/ジャンル仕分け
11 /17 2016
※この記事にある分類は、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※映画のネタバレしてます。


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◆「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
ジャンル:人生の岐路

デビッド・フィンチャー監督の作品です。
以前は、監督とかほとんど気にしないで見てたほうだったのですが、最近はちょっと気になります。
デビッド・フィンチャー、聞いたことある気がするけど、他に何の作品を?
「セブン」「ファイト・クラブ」
そうなんだ。
ブラッド・ピットが好きだった私にとって、意外と触れていた監督さんでした。
で、この作品も、ブラッド・ピット主演。

有名な映画ではありますが、この映画を簡単に説明すると。

「不気味にも老いた体で生まれた少年は、歳をとるにつれ体だけは若返るという特異体質だった。
自分は若返るが、愛する人は老いていく。
それに伴う苦悩に振り回されつつ、自らの人生を見つめ、愛する人と関わっていく話」

こんな感じでしょうか。

この映画、人生の岐路か、金の羊毛かで迷いましたが、一応最終判断としては、人生の岐路にしてみました。
映画の内容からして、人生の岐路じゃないかと思うんですよね。
前にも書いたかもしれないけど、人生の岐路というジャンルはこんなものです。

●主人公が苦悩している
●その苦悩とは、誰にでも訪れがちだが、誰にとっても受け入れ困難な内容のもの
●主人公が本当の自分を受け入れた時に初めて、その苦悩が終わる

二番目の項目が解りづらいかもしれませんが、たとえば「愛する人との死別」とか、「配偶者の浮気発覚」とか、「思春期における周囲との対立」とか、そんな感じのことです。現状を受け入れられないからこそ起こる苦悩、といった感じ。

ベンジャミン・バトンは普通の人間とは違うわけですが、苦悩の種類でいうと、凡人とそう変わりありません。
「老いた体で生まれ、若返りながら育ち、赤ん坊の状態で最期を迎える」
普通と違うのはこの設定だけ。
苦悩してるのは、

「生まれて、生きて、死ぬ。とはどういうことか」
 +
「ずっと一緒に、愛し合って、とにかく普通に暮らしたいのに、それができないつらさ」

です。つまり、

「人生ってなに?」
 +
「一緒にいたいのに、いられない!」

これだけです。
save the catで言うところの、「原始的な動機」にあたるのはこの辺なんじゃないかなぁと。
よくあるつらさ。
今も昔も変わらない、誰にでも訪れるような、普遍的なつらさです。

後者に至っては、ロミオとジュリエット的なつらさ、とも言えるでしょうか。
ベンジャミン・バトンの場合は、ロミオたちのように周囲の反対があってというよりも、自分自身が反対してるだけですが。
ベンジャミンが頑なに自分を受け入れてないだけ、とも言える。
見ている側としては、そんなの気にしなきゃいいじゃん、一緒にいなよって思うけど、一緒にいられないというベンジャミンの気持ちも解るから感動的なんだと思います。
この普遍的なつらさに付随して、老いていくこと、人には抗えない自然の力、運命、といった悩みが上乗せされていきます。
辛い状況になったとしても、その人生を受け入れる…といった道のりになっていきます。

金の羊毛と迷ってしまう理由は、きっと、主人公が「答えを探している」からなんじゃないかと思います。
「探し物をして旅に出る」っていうのと、どことなく似ているなぁなんて。



作中で繰り返されるキーワードが幾つか。
「永遠」
「みんな孤独」
「人生はわからない」

この辺がテーマなんでしょう。
「人生はわからない」
確かこのセリフがかなり初期から出てきてたから、これが「テーマの提示」というビートになるのかな。
ベンジャミンは「みんな孤独」だということを人生の中で知り、その後、「永遠はある」と言うようになります。
自らの人生を受け入れたからこそ、そう言えるようになったのです。
その変化こそが、「人生とはわからない」もの、になるのかと思います。



メタファーでいうと、色々とアメリカ人なら気づくんじゃないかなというものが散りばめられているっぽいです。
アメリカの歴史的な背景とか。もろもろ。
たとえば、こんなの。

この作品は、基本的に過去を振り返るパターンの映画なのですが、現在の時間軸は2005年で展開していて。
2005年に起きたハリケーン・カトリーナが接近中、という状態が現在の時間軸です。
なんでも甚大な被害を及ぼしたハリケーンだったそうで、原作にはないこのカトリーナを出すことで、当時まだ復興中だった人々へ、様々な励ましのメッセージをこの作品は伝えようともしているそうです。
人生を受け入れるための、メッセージ。
この映画は人生を受け入れるための名言が満載なので、そういうのが好きな人には本当におすすめ。

でもこういうメタファーは、私にとって、映画のことを調べたからこそ解る背景。
地元民ならすぐ気づくのでしょう。

私に気づけたのは、ベンジャミンという名前の意味くらいでしょうか。
ベンジャミンって植物があります。
調べたら、花言葉には「永遠の愛」というのがあるそうで。
でもこれ、日本語版の花言葉かもしれません。英語だと違うかも。
もし英語で違うのだとしたら、ある意味、奇跡的なメタファーになってます。

逆行する時計とか、ハチドリは無限を描きながら羽ばたくとかは、作中でもハッキリ提示してるメタファーなので、誰でも気づけます。こういうハッキリしたのはメタファーって言わないのかな? 言うのかな?

あとはなんだろな。
怪しいのは、ベンジャミンの実家が「ボタン工場」を営んでいた事かな。
「ボタン」になにか意味があるっぽくて。
ネットで色んな人の気づきを拝見すると、ボタンについても色々あるんですけど。
私個人としては、「ボタンそのものを人間にあてはめている」んじゃないかなと思いました。

ボタンには様々な色や形、種類がある。
それは人間も同じ。
人間にもいろいろいて、それぞれに違った色合いの人生がある。
人は皆、孤独である。
ボタンもまた、本来は孤独である。
だがボタンとは、右と左をつなぎ合わせるものでもある。
ボタンにあったボタンホールや、ボタンを引っかけるためのループさえあれば、何かと何かをつなぎ合わせることができる。
それがボタン。
人も人同士、つなぎあってみたり、また外れてみたり。
ボタンと同じく、掛け違えればおかしなことになったりもする。

ベンジャミンも、人生の中でいろいろな人と関わり、その時々で、互いのボタンをかけるように心を寄せてきた。
人は生まれて、死んでいく。
出会っては、別れていく。
それはまさにボタンようで。
かけては、外れていく。
合わさっては、離れていく。

幼い頃のベンジャミンは、その状況を憂えてるようなところがあった。
きっと悲しかったんでしょう。
永遠なんてない。
まさにそんな気持ち。
でも答えを求めて悩み続けた結果、ベンジャミンは「それが人生なんだ」って受け入れたのだと思います。

三時間くらいある映画だけど、面白い映画です。
ほんとに、無駄なセリフがありません。
すべてのセリフがテーマにそっていて、語られる意味があります。





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