(潮)「すべてを失って」について - さかえのよ

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(潮)「すべてを失って」について

雑感
02 /20 2017
ビートの中に「すべてを失って」というものがあります。
これは「ミッドポイント」というビートと対になるものだそうです。
で、2つパターンがあるそうな。

1:ミッドポイントで主人公が絶好調(見せかけの勝利)になる場合、すべてを失ってでは絶不調(見せかけの敗北)になる

2:ミッドポイントで主人公が絶不調(見せかけの敗北)になる場合、すべてを失ってでは絶好調(見せかけの勝利)になる

今まで見た映画は、どれもパターン1でした。
パターン2にはなかなかお目にかかれないんだけど、私が見たいと思う映画のチョイス癖みたいなもののせいでしょうか。

2のほうはどういう流れになるのか、ちょっと想像しきれない。
すべてを失ってで、絶好調になるだと??
一応、想像はしてみているんだけど、ほんとにこういう流れがパターン2なのかなぁ?
とか、確信が持てていません。
いつかお目にかかりたいものです。

***

さて。
現在、ビート仕訳しているのは「アナと雪の女王」です。
今回は、ちゃんと記事を書き終えてからUPするつもりです。
というのも、前回の「魔法使いの弟子」同様、またしても主人公が2人だと思い込んでつまずきそうになったから。
危ない危ない^^;
途中で「やっぱこれも主人公は一人だった!」ってなって、書き直してます。

っていうか、そもそも主人公が2人ってありえないんだと思うんだ。
話の中で重要な役割の人が2人いたとしても、必ずどっちか目線で物語は進むし、落ち着くものだと思うんだ。
そうでないと、とっちらかるもんな。
いい加減、気づけ私。


いや、でも、私が知らないだけで、2人それぞれの目線で話が進むという意欲的な作品はあるのかもしれない。
わからん。
わからんけど、今は目の前のことをやるだけだぜ。



*****

【追記 2017/2/21】
本書をちょろっと読み返したら、こんな内容の文章があった。

「どんな映画でも、それがたとえアンサンブル作品であっても、必ず主人公は存在する。
映画はすべて主人公についてのストーリーだから、観客が注目したり、共感したり、応援したくなる主人公、しかも映画のテーマを観客に伝える主人公が一人か二人は必要なのである」

主人公が二人いることもあるんだね。
\(^o^)/
まったく俺はよ、ちゃんと読めよ、教科書をよ。






ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

ぐろわ姉妹
潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人

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