(潮)キャラの感情、読者の感情 - さかえのよ

(潮)キャラの感情、読者の感情

雑感
07 /19 2017


この本に書いてあった。
キャラの感情と、読者の感情は別物だって。

喜劇のキャラが困っていたとしても、それを見て観客は笑う。
スリラーのキャラがのほほんとしてたとしても、彼に脅威が迫っていることを知っている観客はハラハラする。

言われてみれば、確かにほんとにそうだ。
そしてこうも書いてある。

感情は大事だということを理解していない脚本家は、キャラの感情に重点を置きすぎる。
キャラを泣かせれば、観客も泣くだろうと思ってしまう。

ははは!
私のことか!

よく、観客が主人公に感情移入できるように作るべきと言われてたりするけど、この本を読んでいると私はそれを勘違いしていたように思うんだ。
自分が映画を観ている時のことを振り返ってみると、別に主人公に感情移入はしていないから。
私が映画鑑賞中にしているのは、移入じゃなくて、理解、が近いかもしれない。
この主人公は、こう思って、こう思って、こうなったからこう変化したんだなー。
その流れが理解できた時、泣ける。
その変化を選んだ「心・決心」に泣ける。
いや泣けない時もあるけど、泣けるときもある。
そのへんは、変化のタイプが好みかどうかだろう。
登場人物が一滴も泣かないのに、こっちは号泣っていうこと、たくさんあったし。
あっちとこっちの感情は別物で当然なんだってこと、肌身で感じている今日この頃。

多分、私の勘違いはこういう事だ。

×「観客が主人公に感情移入できるように作るべき」
  ↓
〇「観客が感情を理解できる主人公に仕立てるべき」

上手く説明するのが面倒なんで省くけど、「主人公に感情移入できるように」という部分を、言葉のアヤでというか、アクセントの違いでというか、とにかく私が解釈を間違えた感がすごい。
自分的に分かりやすい言葉に置き換えると、「感情移入」じゃなくて、「感情理解」が妥当。
「移入してもらうことが大事なんじゃなくて、理解してもらうことが大事なんだろう」と、今のところ解釈している。

理解。
理解。
理解しやすい問題を抱えている主人公とか、理解しやすい変化の仕方をする主人公とか。
そういうことみたいだ。

まぁ何はともあれ、
キャラたちが泣きゃいいってもんじゃない!
ということを胸に刻んでおこう。

キャラの感情≠読者の感情

ぐろわ姉妹

実の姉妹が小説を共同制作しています

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潮八(姉):発動する人
斑丸(妹):調整する人