(潮)映画「グレイテストショーマン」の内容 - さかえのよ

(潮)映画「グレイテストショーマン」の内容

ビート関連
04 /19 2018
※映画のネタバレしてます。
※この記事にあるジャンルやビートは、私が「save the cat」という脚本術の本を参考に分けたものです。断定的に書いてはいますが、練習ですので間違っている可能性が十分にあります。ご了承ください。
※ジャンルやビートの説明については、このブログでは特にいたしません。ご自身でご確認ください。
※個人的なメモ要素が高いので、意訳になっていたり、映画を見ていないと解らない表記もあると思います。そのへんはもろもろお許しを。




この映画、色んな見方はできると思うけど、精神的な教えというか、悟り的なメッセージというか、この世の真実的なことが描かれていると私は受け取ったので、ネタバレだけど紹介しておきたいです。
まー、スピリチュアルど直球な映画だなってことです。
私がそう見たいからそう受け取っただけなのか、作った側がそう作ったからビート通りに見た私がそう受け取ったのか。
どっちでもいいけど、たぶんメタファーを感じて鑑賞すると、深みが増すんじゃないかなと思う映画でした。

そのメタファーについて自分で説明しようと思ったけど、ぐぐったら分かりやすく説明してる方のブログに出会えたので、リンクしときます。
こちらのブログ記事です。

私もこの方のおっしゃる通り、陰と陽が描かれているんだと思います。
富裕層の世界が、陰。
このブログの方の言葉を借りるなら、

一見『陽』に見えるけど、他人軸の自分勝手を生きる、自利をむさぼる『陰』。

バーナムはミッドポイント以降、陰の世界に引きずられてしまうんですよね。
ミッドポイントまではよかったんだけど。
まぁ、ミッドポイントは「見せかけの勝利」だから、バーナムの心の中にはバッチリ陰が潜んでいたことが解ります。

ミッドポイントでサーカスの大成功を経て、迫りくる敵というビートが始まります。
この映画でいう「敵」は、バーナムの中にある「陰」が一番の敵なんだろうけど、可視化できる「敵」としてはフリークスを蔑視する「民衆」として描かれているかなと思います。
いろんな方の感想を見てきて分かったのですが、バーナムの中にある「陰」については、映画見てるだけじゃ気づかない人もいるっぽいんです。
オペラ歌手に対するただの浮気心だと思ってる人がいる。
もちろん、それはそれで悪い鑑賞ではないです。
その人にとってはそこから発展するメッセージがあるのかもしれないし。
でも製作者としては、自分の伝えたいメッセージがきっとあるわけで。
それはなんとかして伝えたいでしょう。
だから製作者側は、バーナムをただの浮気心と見る人がいることを知ってて、あえてフィリップという若者を投入してるのだろうと、私は思いました。
この方法すげーな、頭いーなって思います。
フィリップの価値観や恋愛が、バーナムの中にある「陰」をより分かりやすく体現してるんだもの。

オペラ歌手が舞台で歌う姿に見とれているバーナムのシーンがありますが、あれを、恋に落ちていく浮気心のシーンと見るか、陰の力に引きずられていくシーンと見るかで違うと思います。
たしか、このオペラ歌手はバーナムと身の上(貧乏人だった)が似ていたはずです。
でもどうやら彼女はバーナムと違い、これまで陽に触れてないんです。
そのせいか、ぎらついてます。
彼女と交流を始めたころ、バーナムは奇妙な表情をしてるんです。
それを「恋に落ちる過程の表情」と見るか、「強烈な陰に触れ、自身の中の陰がうずきだしている表情」と見るかで違います。
ぎらついているから、彼女はこう歌うんです。

「どんなにスポットライトを浴びても、足りない。
足りないの、足りない。
もっと、もっと欲しい、もっと欲しい!」

もうね、この歌、呪文かなって思いましたよ。
バーナムは舞台でこの歌を歌う彼女に見とれてるんじゃなくて、ずるずると引きずられていってるんだと私は見ました。
バーナムの中の陰が幅を利かせてくるシーンとしてみました。
そしてこの歌は、陰の世界の住人、富裕層に大絶賛を受けます。

陰にすっかり取り込まれたバーナム、陰という敵に抗えなかった結果は…
サーカス劇場全焼。
自分の屋敷を失う。
妻や娘と別居。

見事に「すべてを失って」のビートを満喫。

と、ここまで書いて、おなかすいてきたから終わりにしようかな。
とにかく、何のために生まれたのか初心を思い出して、『陽』で生きようぜっていう映画だ。









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